歴史・文化
2026/02/15 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


小学生の社会の授業で習う、あの「邪馬台国」が阿波徳島にあったかもしれない説が盛り上がっている。魏志倭人伝など各歴史書からも符号する事象が多くあり、邪馬台国阿波説に関する書籍やWEB記事、YouTubeなどで各執筆者が自分の説を論じている。ただ、阿波説は完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。1800年も前の出来事を完全一致させることはほぼ不可能ということで・・・。それならば!それぞれの論者の説を一同に掲載することで、各説の微妙な違いや逆に一致している点などを比較できるようにしようと、まとめ記事を企画しました。この無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者はなんと8名も!毎回のテーマごとにエントリーして執筆してもらうスタイルでまとめていきます(エントリーしないテーマのときもあります)。それぞれが論じる内容を読み比べ、納得する説をお好みでチョイスしていってください。なお、当企画は阿波の古代史を通して徳島の魅力を再発見するというのがミッションなので、邪馬台国以外のテーマも登場予定です。

※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、
本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。

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【編集部よりお知らせ。】
当連載コーナーは、今回でいったん終了となります。次回から2回の特別編を挟み、2026年4月1日からシーズン2をスタートします。ニューカマーの執筆者も参加して、さらに盛り上げていく所存です。ご期待ください。



邪馬台国は阿波だった!?テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


通説
倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)

徳島県美馬市美馬町に鎮座する神社 。
927年に編纂された延喜式神名帳の延喜式内社にある阿波國美馬郡の倭大國玉神大國敷神社二座の論社である それらの神社は式内社と呼ばれ、927年の時点で確かにその場所に存在していた由緒ある神社です。
倭大国魂神は、その名の通り、倭の国そのものを表す神様ともいえるでしょう。延喜式神名帳で、倭大国魂神を冠する神社は、「阿波国 美馬郡 倭大國玉神大國敷神社二座」として全国で唯一阿波国のみに記されています。 神紋 丸に三つ柏(まるにみつかしわ) 祭神 大国魂命 大己貴命 また第10代崇神天皇が国内に病気が流行り治世が困難になり、宮中で祀られていた天照大御神と倭大国魂の二柱の力が強すぎるので治世が乱れた考え、宮中の外へ出されたと言われています。国魂とは、その国や土地の神様と言われています。






ヤマモトタケルノミコト氏の説/倭大國魂神社が徳島・美馬にある理由 ― 移された王都、残された倭國の記憶


倭大國魂神社が、なぜ畿内でもなく、徳島県美馬の地に静かに鎮座しているのか。この問いは、日本古代史の根幹に触れる重大な話ですね。しかし向き合って説明してくれる歴史学者はなかなかいらっしゃらないのが現状です。倭大國魂(やまとおおくにたま)とは、単なる土地神ではなく、国そのものの「魂」、すなわち倭の国があったという正統性を象徴する神社です。その神社が延喜式内社として美馬に祀られているという事実は、阿波がかつて『倭国の中心』であったことを雄弁に物語っていると思います。 【※延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)は、927年にまとめられた『延喜式』の巻九・十に記載されている神名の総称で、当時より以前に存在しており、朝廷から大事にするように指定された神社の一覧です】。

『日本書紀』によれば崇神天皇五年に疫病が流行り、翌六年には天皇の大殿で並祭されていた天照大神と、倭大国魂の二神が、天照大神には豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)を、倭大国魂大神には渟名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)をそれぞれ付けて、そこから出されたと言われています。その先が阿波の美馬であれば、10代崇神天皇は阿波にいたことに繋がっていると思います。

またヤマトの変遷(時間の経過に伴って移り変わること)として延喜式内社をよく見ると、(1)徳島に倭大國魂神社があり、そこから(2)淡路島に大和大國魂神社ができ、(3)最後に奈良に大和坐大國魂神社ができたことも読み解けます。一文字の「倭」から、和銅六年に国・郡・郷の名称を「二文字」に変えるよう命令されています(続日本紀)。また奈良の大和坐の「坐」とは、「座」と同じように用いるとあり、大阪の阿波座は阿波から移り住んできた阿波の人の町とも言われていますね。そうであれば、阿波の倭→淡路島の大和→奈良の大和坐の変遷が理解できると思います。

最後に徳島では、有名な話ですが、元イスラエル駐日大使のエリ・コーヘン氏が何度もこの神社に来られて神紋が、イスラエルのメノラーにそっくりであり、日本の徳島に先祖が来ていると思うとおっしゃっています。近くにイスラエルの祭壇とそっくりな石組みの磐境新明神社もあります。ある方は、徳島に天孫降臨してこられた一族(天皇家)が、徳島の穴吹盆地から奈良盆地へ、そして京都盆地へ移られたのではとおっしゃっています。

纏めると、倭大國魂神社は後世の勧請(神仏の分霊を他の場所に移しまつること)ではありません。ここは残された王権の中心地であり、大和盆地へ移された後も、国の魂そのものは、動かされることなく美馬に祀られ続けていました。倭大國魂神社は、ヤマト源流の地・阿波に記憶として残り続けた聖域と言えます。これは、祈りを捧げ続け、千何百年以上の今日まで繋いでくださった先人に深い感謝と敬意を持って、次世代に知らせ繋げていくことが、今の我々徳島県人の大いなる義務と責任であると思います。 ここにこそ「ヤマト」の始まりがあった事を、日本人・徳島県人は知っておくべきことと思います。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

▲倭大國魂神社神紋「丸に三つ柏」(メノラー?)。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/ヤマモトタケルノミコト】
阿波古代の素晴らしさを広く伝えるために日々走り回っている阿波古代伝道師。とくしまクチコミ大使!(徳島商工会議所)。邪馬台国は阿波だった!ラジオMC(エフエムびざん)。アワテラスラボ 理事長。阿波ヤマト財団事務局長。徳島県 観光審議員。徳島YEG:卑弥呼フェス開催。映画「少女H」撮影上映。徳島JC:映画「佳歩」撮影上映。口ずさめとくしまの歌!開催。

[問い合わせ先]heartfull80@gmail.com


ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶邪馬台国は阿波だった!(YouTube)
▶▶アワテラス歴史研究所アワラボ(Facebook)
▶▶一般財団法人阿波ヤマト財団(公式HP)






山内雄二氏の説/倭大國魂神社と「倭」


延喜式内社「倭大國玉神大國敷神社」は、現在、美馬市美馬町の「倭大國魂神社」と三好市池田町の「醫家(いけ)神社」が論社とされる。諸本では「醫家神社」を式内社とする例が多いが、「倭大國魂神社」の主祭神は文字通り「倭大國魂神」であり、倭の国土神である。一方「醫家神社」の主祭神は「大国主神」で、一般的な国土神である。神社名と神名の一致、さらに「倭」という具体的地名を有する点からも、「倭大國魂神社」を式内社とみる方が妥当である。

「倭大國魂神」は『日本書紀』の崇神紀と垂仁紀に登場する。宮中で「天照大神」と「倭大國魂神」の神威が強まり、宮内で祀ることが困難となったため、両神を宮外に遷すこととなった。豊鍬入姫は「天照大神」を「倭」の笠縫村で祀り、淳名城入姫は「倭大國魂神」を穴磯邑大市の長岡岬で祀った。しかし淳名城入姫は髪が抜け痩せ衰えたので、祭主は大倭直の祖である市磯長尾市に代わったと記されている。

通説では、この説話の舞台である「倭」は『和名抄』の大和国城下郡大倭(おおやまと)郷(現・天理市)とされる。隣接する山辺郡は、式内名神大社・大和坐大国魂神社(現・大和(おおやまと)神社)を奉斎した大倭国造(珍彦(うずひこ)の子孫)の本拠地である。また、天理市の南方、桜井市三輪には崇神天皇の磯城水籬宮跡の伝承地も存在する。このような背景から、大和神社の主祭神は「倭大國魂神」とされるが、これは崇神紀の記述に合わせたもので、本来は「大倭大国魂神」と称されるべきである。

「倭(やまと)」と「大倭(おおやまと)」は、本来全く異なる地(国)を指す名称である。倭国造は珍彦が神武天皇から初めて任じられ、大倭国造はその後裔である。ところが大化の改新後、「大倭」が律令国家名として「大和」に改められ、読みも「やまと」とされたため、「倭」「大倭」「大和」が混同されるようになった。その結果、三者を厳密に区別する文献と、区別しない文献が併存し、「倭=大倭=大和」という場所と時代性を無視した誤った解釈が広まった。さらに、現代語訳の『記紀』では原文の「倭」「大倭」がすべて「大和」と訳される例が多く、読者の多くが『記紀』の舞台をすべて現在の奈良県のことと誤解する一因となっている。

阿波説では古くから、「倭」は美馬郡の延喜式内社・倭大國玉神大國敷神社に比定される倭大國魂神社が鎮座する旧美馬郡(現・三好郡の一部を含む)であると解釈されてきた。さらに阿波説では、崇神天皇の磯城瑞籬宮は旧美馬郡半田町の天皇(てんのう)と呼ばれる地にあったとされる。「倭大國魂神社」は吉野川を挟んでその対岸に位置し、宮中からの遷座地として地理的にもふさわしい。

『徳島県史 第1巻』には、「阿波は大化改新前において、粟(吉野川流域)と長(那賀・海部方面)の二国ではなく、美馬・三好両郡地方にさらに一国があったというのが「阿波三国説」である。」と記されている。ただし、同書では美馬・三好地方の国名が明示されていないが、私も先学に倣い、古代において旧美馬郡こそが「倭」であったと推定する。そして崇神天皇が半田町天皇に磯城瑞籬宮を置いて以降、「倭」は宮都の所在を示す語となり、さらに時代を経るにつれ、阿波一国を国外から指す呼称としても使用されるようになったと推測される。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

▲畑の奥の丘陵が半田町天皇(通称・天皇の森)。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】
昭和27年4月、鳴門市に誕生。小学校1年より徳島市南二軒屋町に居住。大学在学中は、山歩き、ジャズ鑑賞、読書が趣味。卒業後、神戸の会社に就職し神戸市垂水区に居住。65歳で職を辞し、徳島に帰還。「うちのかみさん」と国府町で二人暮らし。阿波説の魅力に取りつかれて20年。徳島歴史研究会で年一回、自説の阿波古代史を発表。今年で16回。国府町の「一般社団法人・大御和神社・崇敬会」の事務局を夫婦で運営。

[問い合わせ先]090-1136-7625






島勝伸一氏の説/


(編集部注)
島勝伸一氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/島勝伸一(しまかつしんいち)】
NPO法人吉野川に生きる会代表理事。阿波ヤマト財団評議員。NPO法人吉野川に生きる会 その事業の一つに、歴史を通じた街おこしに取り組むNPO法人「吉野川に生きる会」として卑弥呼サミット等を開催。郷土史家として島勝理事長や愛媛大学の越智正昭・客員教授らが、出土品や地質学、気候などの観点から阿波説について解説し阿波古代史を広くPRしている。

[問い合わせ先080-3533-5146(島勝)


島勝伸一氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・

▶▶島勝伸一解説 岡元雄作監督作品 ドキュメント映画『ルーツ オブ ザ エンペラー』令和6年6月27日 四国古代史サミット東京(YouTube)





藤井榮氏の説/阿波「倭(やまと)」と奈良「大倭(おおやまと)」


◆古事記や日本書紀(略して「記紀」という。)、万葉集を読まれた方はお気付きでしょう、「倭」と「大倭」の二種類の表記があることを。皆さんはこの二つの表記についてどうお考えでしょうか。 ◆「倭」と「大倭」、諸学者はどちらも奈良地方のことだとしていますが、このような解釈をしてきたために古代史の混乱が起こったのです。◆阿波の大先覚岩利大閑氏は言います。「「倭」と「大倭」、この二つの表記の真実が分かれば‥、“隠国(こもりく)”正しくその言葉どおり隠されたこの国を見つけ出しさえすれば日本の古代史の空白が消え去り正しい日本史年表が作られるでしょう。」◆「倭」は阿波のことであり、奈良は「大倭」と呼ばれた地方です。記紀と新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)※1を読めばこのことがよく分かります。

◆具体的なお話をしましょう。◆編年体日本書紀第10代崇神天皇6年には次のような趣旨の記述があります。「‥‥天照大神と倭大国魂(やまとおおくにたま)神の二神を同じように天皇の御殿の内にお祭りしていたが、二神の神威を恐れて二神と共に住まわれることに不安があった。そこで、天照大神を豊鍬入姫(とよすきいりびめ)命に託して倭の笠縫邑に祭り堅固な神域を立てた。また日本大国魂(やまとのおほくにたま)神※2を淳名城入姫(ぬなきのいりびめ)命に託して祭らせた。‥‥」 ◆この記述の日本大国魂神を祀るのが徳島県美馬市美馬町字東宮上に鎮座する「倭大國魂(やまとおおくにたま)神社」です。全国で唯一阿波で祀られているこの神社の存在は阿波が「倭」であったことを示す動かしがたい証拠です。◆境内横には古い横穴式石室を有する大国魂古墳群も存在しています。◆祭主は崇神天皇翌7年の記述にあるように市磯長尾市(いちしのながをち)、この人物は古事記に書かれているとおり名東郡佐那河内村に鎮座する御間都比古神社のご祭神第5代孝昭天皇(御間都比古香殖稲(みまつひこかえしね)命)の御子天押帯日子(あめおしたらしひこ)命(第6代孝安天皇の兄)の末裔に当たります。

◆この神社の東方には当初天照大神を祀ったのではないかと考えられる「天都賀佐比古(あまつかさひこ)神社」が2か所(美馬町字轟・西荒川)に鎮座していますが、美馬町は笠縫邑(かさぬひのむら)を想起させるようにかつては和傘の産地でした。◆元社が鎮座するといわれる西荒川には崇神天皇の妃遠津年魚目目微(とほつあゆめまくはし)比売(荒河刀辨(あらかはとべ)の娘)を葬ったのではないかと思われる「荒川古墳」があり、この妃の娘が記紀に書かれている前述豊鍬入姫命です。 ◆この荒川古墳のすぐ西にはこれまた前記淳名城入姫命の母意富阿麻(おほあま)比売を葬ったと見られる「海原(かいばら)古墳」があるのです。

◆この美馬地方について大閑氏は次のように述べておられます。「第10代崇神天皇は、天孫邇邇芸(ににぎ)命の兄饒速日(にぎはやひ)命(天火明(あめのほあかり)命)の直系伊迦賀色許売(いかがしこめ)命※3を母に持ち、初めて吉野川上流倭(やまと:美馬)地方と下流以津毛(いづも)地方の完全和合を成し遂げた王で、阿波の国人は美万岐入比古(みまきいりひこ)命と呼び奉るようになったのです。◆美万之国(美万城)、徳島県民は現在三好郡が隣接するために美馬、三好と分けて考えられがちですが、三好は古代美万の一郡(一部)の「美芳(みよし)」と呼ばれた地方が分割されて現在に至っているのです。 ◆吉野川南岸の端々岐(ははき:現つるぎ町)、北岸の倭岐(わき:脇町)より上流すべて「美万」で、古代「山跡(やまと)」とも呼ばれ、のち国号「倭(やまと)」にもなった日本古代史とは切り離せない重要な地方なのです。◆大倭(奈良)地方は虚空(そら)みつ倭の根別(ねわけ:倭の分かれの意)とはっきり区別されています。『そらみつ倭』、『倭し美し』の古歌のような表現が使われるように、国内唯一の式内「倭大国魂神社」、「倭大国敷(やまとおおくにしき)神社」をもつこの美万城(みまき)地方は、現在でも徳島では“そら”と呼ばれています。◆我が国の古地名で一郡の地名が美万(美馬)、美乃(三野)、美津、美奈和(三縄)、美芳(三好)とあるのは『倭し美し』の名残で当地方のみに見られる古地名です。(『道は阿波より始まる』その一86頁) ◆「倭大国魂神社」鎮座地の南、吉野川南岸つるぎ町半田の貞光寄り河岸段丘には崇神天皇が敷いた“師木(しき)の水垣(みづがき)宮”跡が「天皇」という地名で宮跡の痕跡を留めています。これは当時の大王の宮が伝承されていく中で、次第に「天皇」と言われるようになったものでしょう。

◆一方、奈良天理市新泉(にいずみ)町にも同じような「大和(おおやまと)神社」があります。通説はこの神社が前述日本書紀第10代崇神天皇6年に書かれている日本大国魂神を祀る神社であるとしていますが、これは見当違いも甚だしい誤りです。◆この「大和神社」(「大和坐(おおやまとにいます)大国魂神社」)は大倭氏が代々祭主を務めてきていますが、この大倭氏は新撰姓氏録にも書かれているように宇豆彦の子孫ではありませんか。◆なので、前述美馬市「倭大國魂神社」祭主、市磯長尾市を宇豆彦(うずひこ)の子孫で大倭(おおやまと)氏の祖であると解する通説は誤りです。◆古事記では「槁根津日子(さをねつひこ)」、日本書紀では「珍彦(うづひこ)」と呼ばれる鳴門一帯を支配した海人(あま)族の大人です。記紀のとおり、宇豆彦は速吸門(はやすひのと)※4(鳴門海峡)で神武天皇と出逢い、海導者となって神武東征時の功績により「大倭国造(くにのみやつこ)」に任じられて「大倭直(あたひ)」の始祖となっているのです。◆これは速吸門(鳴門海峡)を中心とする地域を治めていた宇豆彦が神武天皇から大倭国造に任じられ奈良で大倭氏の祖となり、その子孫が奈良天理市の「大和神社」(「大和坐大国魂神社」)の祭主になっているということです。◆その証拠に「大和神社」に向かって右横に「祖霊社」なる社がありますが、その由緒書きにはご祭神が大国主命とともに国津神珍彦命(椎根津彦命)で大倭国造に任じられると書かれ、現在の祖霊社は「大和神社」改築の折、日本大国魂神が祀られていた本殿を移築した社殿であるとしています。つまり、移築する前の本殿に祀られていたのは宇豆彦であるということです。◆要するに「大和神社」は、神武天皇が宇豆彦に褒美として与えた領地(奈良大倭)で大倭国造に任じられて大倭直の始祖となった宇豆彦をその子孫の大倭氏が祀っている神社ということになります。◆いかがでしょうか。これが倭と大倭の真実です。

※1 平安時代初期の815年(弘仁6年)嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑
※2 その土地を拓いた神(地主神)を意味し「大国主命」のことです。
※3 伊迦賀色許売命は、吉野川南岸の吉野川市川島町桑村に鎮座する「伊加々志(いかがし)神社」(全国唯一社)で、また御子の崇神天皇は境内飛び地の「王子神社」でそれぞれ祀られています。
※4 諸学者はこの速吸門を豊予海峡だと解していますが曲解も甚だしい解釈です。速吸門で宇豆彦とあれば、海水が大きく渦巻きのように吸い込まれるあの天下に名高い渦潮のある阿波鳴門以外には考えられないでしょう。


【参照リンク】
① YouTubeチャンネル古代史塾 「倭大國魂神社」
② 小著『古代史入門』108~111頁、『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』テーマ29(123~129頁) (Amazon電子書籍・印刷本)

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

▲倭大國魂神社(美馬市美馬町東宮ノ上)。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】
昭和24年美波町(旧日和佐町)生。平成22年徳島県庁退職。平成26年本格的に阿波古代史の勉強を開始、平成27年「邪馬台国阿波説入門講座」(現「阿波古代史講座」)を開講、令和4年2月古代史塾を起こしHPを開設してYouTube動画配信を開始、同年4月『古代史入門』、同6年2月『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をそれぞれAmazon電子書籍・印刷本出版、現在に至る。

[問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp


藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶古代史塾(公式HP)
▶▶古代史塾(YouTube)






オキタリュウイチ氏の説/決定打!!!日本でここだけ!日本書記に書かれている、倭の國魂を祀る、阿波「倭大國魂神社」


「國魂(くにたま)」という言葉がある。それぞれの土地、国土には「魂」があり、その土地神のを祀ることで、国の栄枯盛衰が起こると考えられてきたんだ。例えば伊勢には「伊勢大國魂」が祀られているし、名古屋には「尾張大國魂」が祀られている。なんと、「倭」の国魂を祀る神社が、日本に1ヶ所だけ存在する、って言われると、みんなどう思う?

「あぁ、そこがヤマトだった地か!」って、思うよね?
そこが、徳島県美馬市にある延喜式内社「倭大國魂神社」「倭大國敷神社」の二座なんだ。

それから、日本が拡大して、奈良に移転した際に、淡路(※明治までは徳島の一部だった)を通って、「大和大國魂神社(おおやまとおおくにたま)」、奈良に「大和坐大國魂神社(おおやまとにいますおおくにたま)」となって、拡大していく。

前にも言ったけど、古事記でも「倭(やまと)」と「大倭(おおやまと)」の二つは書き分けられているし、古墳も、阿波に小ぶりの古い前方後円墳が出来始めて、ある時代にパタッと作られなくなり、後に奈良に大きな前方後円墳が出来始めて、石棺のフタもわざわざ阿波から運んでいることからも、初期モデルが阿波にあったことを物語っている。

かつてこの美馬の地こそが「倭」の本拠地であり、「倭大國魂神」は、単なる土地神ではなく、日本という国そのもののアイデンティティなんだ。中世の戦火などで多くの記録が失われ、一時は衰退した時期あったが、地元の方々によって大切に守り継がれてきた。この神社は、聖地中の聖地である。
という事は?どういう事か。賢明なあわわ読者の方はわかるよね?笑

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

▲倭大國魂神社。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社

▲倭大國魂神の古墳がある。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/オキタリュウイチ】
オキタリュウイチ ディープ・ブランディング株式会社代表  元真言宗・僧侶 徳島県生まれ。早稲田大学中退。行動経済学に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の老舗企業再生等を行う。京都の老舗米屋を2400万円から20億円の売上にするなど、驚異的な成果を生み出す傍ら、同時に社会活動家として、自殺者撲滅や日本財団と共催し障害者の起業支援を行うなど、社会的課題の解決に取り組む。近年は、社団法人「日本神社再生機構」を立ち上げ、滅びゆく日本の神社の再生に従事する。 

[問い合わせ先]office@deepbranding.jp


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恋塚建生氏の説/倭大國魂神社のことは誰もわからない


倭大國魂神社は、阿波の古代史をかじっている人ならだれもが知っている?美馬市にある神社である。字のごとし、ヤマトの国の魂を奉る神社であるが、間違ってはいけないことが一つある。それはヤマト、魏志倭人伝の記述においての「邪馬壹」は、美馬だけを指しているわけではない。もちろん美馬(ミマ)も含まれるが、板野や徳島市(イ)や那賀(ナカ)や神山、佐那河内他のいわゆる天(ソラ)の地域も含まれる。

倭大國魂神社そのものよりも、我々に興味があるのは、倭大國魂神社のそばにある、古墳群にある。おそらくこの古墳群は、天皇家に関係する古墳だと思うが、現在その確証はない。古事記中巻・古事記下巻を読み解けるようになれば、その答えは出るであろうが、我々世代ではそれは難しいと思われる。答えを出すのは、このあわわWEBの文章を読む貴殿たちに、託すことにしたい。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/恋塚建生(こいづかたけう)】
阿波の古代史、ひいては日本の古代史は、神社や考古学だけでは説明が付きません。私達は数年前に「邪馬壹国」は数学とITで、「古事記」は漢字の読み解きとITを使って、阿波・徳島が「邪馬壹国」であり「古事記の舞台」であることを説明できるようになりました。理系の考え方は全てエビデンスに基づくロジカルシンキングであり、場当たり的な我田引水の説明とは全く異なります。小学生にも分かる丁寧な説明を心掛けています。

[問い合わせ先]ogenkisama0@gmail.com


恋塚建生氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶魏志倭人伝を最新技術で読み解いた!(YouTube)







ANYA氏の説/倭大國魂神社の地域こそが崇神天皇の都


第10代崇神天皇が【磯城瑞籬宮、シキノミズカキノミヤ】に遷都した折、国内に病気が流行り治世が困難になります。 崇神天皇は宮中で祀られていた天照大御神と、倭大国魂の二柱の大神の神勢が強すぎるので治世が乱れたのだと考え、二柱の大神を宮中の外へ移されます。国魂とは、その国や土地を統治する、国土そのものの神霊、その土地の開拓・繁栄の祖神を指しますので、その国からは離れません。倭の字の倭大国魂という式内神社は、阿波の美馬に倭大国魂神社が存在する事から、ここに遷された事で間違いないと考えられます。

また天照大御神も、娘である豊鍬入姫に託し、【倭笠縫邑に磯城の神籬】を立て天照大御神を祀ります。豊鍬入姫は、この地で約33年間にわたり天照大御神に奉仕したと伝えられており、これが現在も伊勢神宮に続く皇女による斎宮制度の始まりとされています。日本書紀では「磯城瑞籬宮」、古事記では「師木水垣宮」と表記されていますが、いずれにせよ「磯城」や「水垣」の字から考えられるのは、大きな水辺に有った宮と想像できます。「磯城、師木シキ」とは河川敷、敷地、敷島など、川の中や川辺で土砂が堆積した場所の形容詞として使用される事が多いですが、私の考える崇神天皇の「師木水垣宮」は、倭大国魂神社の吉野川を挟んだ対岸にある半田地域です。

半田の地名由来は「波邇田」で、ハニは埴輪からも理解できるように土の事で、ここは良い良田が有ったので「波邇田ハニタ」と呼ばれ、それがいつしかハンダになったと言われています。ここには「天皇」という地名が今も存在しています。 記紀によれば、豊鍬入姫命は、崇神天皇と后【荒河戸畔、アラカワトベの娘】の間に生まれた皇女です。倭大国魂神社から東へ2kほど行った所に、その名も【荒川古墳】という横穴式古墳がありますが、阿波説ではここが后の墓ではないかと考えられています。

そして、荒川古墳の少し西に、 【天都賀佐比古、アマツカサヒコ】神社が在りますが、ここの主祭神は伊勢神宮外宮の風宮の風の神です。この事からこの地域は帆を張った川船の往来が盛んだったと考えられます。 ちなみに【倭笠縫邑】の笠縫とは、古代において菅笠や、川船の帆作りが盛んだった場所と考えられますが、美馬町は昔から笠造りで有名なところでもあります。つまり、【天都賀佐比古、アマツカサヒコ】神社の神名からも、やはりここが【倭笠縫邑、ヤマトのカサヌイムラ】、崇神天皇の都だと考えられます。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/ANYA(アンヤ)】
人気の大阪在住の古代史YouTuber。書籍「決定版 阿波の古代史 邪馬台国は阿波だった」。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 阿波(徳島)から日本が始まった。日本の起源も邪馬台国も四国にあった。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 歴史から消されてきた阿波の古代史が明らかになる。ヤマト政権から天皇家の起源などに関して独自の見解を述べる。 

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コラク氏の説/


(編集部注)
コラク氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社


【執筆/コラク】
日本の特に徳島県(阿波)の古代史を中心に研究をしております。古代の阿波の人たちが日本の国家形成にあたりどのような形で関わって来たのか。また、魏志倭人伝や古事記等の歴史書や古墳・遺構遺物、寺社のご由緒に地域の昔話等々...様々な角度観点から独自の解釈をもって古代を考察しております。

[問い合わせ先]なし


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テーマ⑯【完】。これでシーズン1は終了となります。

次回のテーマ⑰は・・・

古代史特別編 世界の中の日本 ~前編~
記事公開日は2026年3月1日(日)。乞うご期待

*なお。テーマ⑱を経て、テーマ⑲からシーズン2がスタートします。乞うご期待。

邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑯日本唯一。ヤマトの国の魂を奉る倭大國魂神社




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