2026/03/15 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】テーマ⑱古代史特別編/世界の中の日本~後編~
どうもー。当コーナーの編集担当のタツイチです。8ヶ月前にスタートした「邪馬台国は阿波だった!?【古代史を通して徳島の魅力を再発見】」が17話でいったん終了となりました。シーズン2に向け現在鋭意制作中です。新メンバーも登場予定なのでお楽しみに。
ということで。
2026年4月1日スタートのシーズン2までの残り1回分は、前回公開した特別編の後編となります。
タイトルの通り、範囲を世界に広げてみました。しかも時代も卑弥呼が活躍した時代よりもさらに遡ってます。あまりに壮大すぎて都市伝説的な部分もありますが、「火のないところに煙は立たない」わけで、信じるか信じないかはアナタ次第です。徳島県民のみなさんは、信じていきませんか?
執筆者は前編に引き続きヤマモトタケルノミコト氏。気合が入りすぎて、今回もかなりの文字数ですが、最後まで読むと「徳島ってすごかったのかも」と感じるはず。
ぜひ、最後まで読んでくださいね。
※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
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【編集部よりお知らせ。】
2026年4月1日からシーズン2をスタートします。ニューカマーの執筆者も参加して、さらに盛り上げていく所存です。ご期待ください。
グレートジャーニー/ ― 文明は世界を巡り、日本へ還る -【後編】
人類の歴史を「文明の進歩」や「国家の成立」として見るのではなく、人の移動=旅として捉え直したとき、私たちはまったく新しい歴史像に出会うことになります。それは、人類が、争いと分裂を繰り返しながらも、出会い、混ざり合い、やがて和合へと向かう壮大な物語です。 私はこの人類規模の移動史を「グレートジャーニー」と呼び、この旅が日本列島から世界を巡ったのち、再度倭国(阿波)へと帰還した物語と考えて執筆しています。勿論分かる範囲(妄想の範囲)になりますが。
「東を目指したイスラエル人」 この物語の重要な出発点のひとつが、この一族の移動です。彼らは日の出る東を目指した。旧約聖書を丁寧に読み解いていくと、バビロン捕囚の後、イスラエルの「北の十部族」が歴史の表舞台から姿を消したことが記されている。しかしそれは滅亡ではなく、聖書の記述からは、「東の果て」を目指して旅立ったことが読み取れます。北の十部族の長子(中心)とされたエフライム族の紋章は「ユニコーン」であり、一方のちに滅びた南王国ユダ。その象徴は獅子(ライオン)です。
聖書全体を俯瞰すると、興味深い構図が見えてきます。それは、敵対し続けてきたイスラエル人が、東の果て日本で再び和合した可能性にあります。日本の神社に立つ狛犬を思い出してください。【図①】世界史を見渡しても、長く戦ってきた一族が和解、和合し、(神社)信仰の象徴として並び立っている例はめずらしいと思います。しかし日本では、それが当たり前の風景として存在している。これは日本が争いの終着点、和合のための地であったことを静かに物語っているのではないでしょうか。
平安京=「エル・シャラーム」とも言われ、第二のエルサレムを意味するそうです。それは勿論遠いご先祖がこの地から出発したからに他ならないと思います。数々の困難を乗り越えてこられた人類と日本に尊崇の念しかございません。追伸、狛犬の起源は遡れば、エジプトのスフィンクスにたどり着きますね。
▲【図①】狛犬
「中国史の多民族国家の実像について」(所説ありますがご了承ください)。
神戸の杣浩二先生の著作などを通して中国史を俯瞰すると、「中国四千年の歴史」のイメージは大きく揺らぎます。中国最初の夏(カ)王朝は、シュメール文明の影響を受けて成立した国家とされ、続く殷王朝は、倭人やフェニキア人などが関わって築いた王朝で、さらに周王朝はトルコ系の遊牧民族が建てた国家という見方をされています。春秋戦国時代を経て、中国を初めて武力で統一したのが秦の始皇帝で、ユダヤ系であった可能性が高いと言われています。その後、劉邦による漢王朝の成立によって初めて「漢人」が中国全土を統一する。
つまり現在の「中国人による中国統一」はこの時代以降になる。三国志の時代を見ても明らかなように、中国は常に広大な領土と多民族の衝突の争いを繰り返している国ですね。しかし同時に、中国はシルクロードを通じてヨーロッパと結ばれ、近年では北側に「アイアンロード(鉄の道)」とも呼ばれる交易網も築かれて、文明が交差する巨大国家で、映画「敦煌」を思い出します。
①伝説の夏王朝は、シュメールの首都がサマリア=サマーから夏王朝(なつ)と名付けられたと(進撃の歴史旅さん考察)。
②殷には【中国の北方民族の「契丹古伝」の伝承の一文に「殷これもとは倭国なり」】と一致します。
③キングダムで人気な秦国は中国西方でシルクロード等もあり、西洋に行きやすい場所にありま、始皇帝の実の父は「呂不韋列伝」や「史記」では呂不韋とも言われ、それだけでも衝撃ですが、呂不韋はユダヤ人という話があります。呂不韋は中国とチベットの国境付近に住む遊牧民・羌族(チャン族)の出身でイスラエルの調査機関『アミシャーブ』は旧約聖書にある“失われた十部族”のマナセ族の末裔の可能性が高いと認定しています。
ちなみにマナセ族(羌族)は製鉄の技術を持っていたといわれています。呂不韋の子であれば嬴政もユダヤ系だったと。裏付けるかのように始皇帝(嬴政)は「鼻が高くて目は青く切れ長だった」【図②】という記録もあり十分にありうる話と思います。
2016年に中国の研究者が「兵馬俑はギリシャ人彫刻家が指導していた可能性がある」と発表し話題に。当時すでにヨーロッパとの民族的な交流があったという証拠ですね。また皆さんご存じの「秦氏」ですね。応神天皇期をはじめ複数回は日本に多くの文明を持って渡来してきた日本に大きな影響を与えながら多くが謎に包まれている一族です。『新撰姓氏録』では秦の始皇帝の末裔と弓月君(ゆづきのきみ)の祖とも言われていますが、新羅から来た説が有力なようです。また雄略天皇の時代に秦氏(秦酒公)が絹を「うず高く積んだ」ことから「太秦:うずまさ」となった話からシルクロードを通ってきたのは間違いなく、日本からの出戻り組ですかね(笑)。
余談ですが、江戸時代にオランダが先住民から今のニューヨークの土地を買い取り、街を作る時に、均整のとれた日本の町並みを参考にしたいと、徳川家康に相談があり、家臣の秦高尚(はたたかなお)にその役を命じて送り込み、秦氏は故郷大阪の街をモデルに基盤の整備進めたと。そのため大阪とニューヨークは町並みに共通点が多く、始めていった大阪人はニューヨークで道に迷わないらしいです(笑)。 両方とも2つの大きな川に挟まれていて、全ての道が東西南北に走り、大阪は縦の道が「筋」で横の道が「通り」で、ニューヨークも「ストリート」と「アベニュー」。
またすばらしい街を作った偉業をたたえ、最後に出来た区にはその名前を付けることになり、一緒に渡米した日本人から“はったん”という愛称でよばれており、“マン”を頭に付け、「マンハッタン」と呼ばれるようになったそうです。大昔の日本で、桓武天皇が遷都する時にも秦氏に都造成(街づくり)をしてもらい平安京が完成して日本の古都京都が、千何百年経った今も続いています。古代から秦氏は都づくりのプロフェッショナルですね。(以前都市伝説のTV放送有)。
▲【図②】始皇帝
「中国史と日本史を結ぶ重要な人物が2人」
1人が周王朝の太伯(たいはく)【図③】です。太伯は王位継承権を持つ長男でありながら、弟に国を譲り、自らは王位を辞して国を離れ、中国の南に呉という国を築きます。再度周王朝の王を継ぐように言われ断り、一説では日本へ渡り、そこでも国を築いたと。日本古代史に登場する「熊曾(くまそ)」はこの太伯の流れをくむ存在だという説や、秦の時代の楚王にも「熊」と呼ばれる人物がいて、秦に敗れて日本に来て「熊襲」となった等、複数の説が存在しています。
重要なのは中国から王朝の人物が日本へ渡り、深い血縁的・文化的交流があったという事実です。このため中国は日本を「兄弟の国」と認識し、他国のように大規模な侵略を行わなかった可能性もあるとネット等でみかけます。また大伯の姓は「姫」(き)氏といい、日本が「東海姫氏国」とかつて呼ばれ、また689年の飛鳥浄原令「持統天皇」までの大王・おおきみ(天皇)は、姫氏であったとも一部では言われています。私自身も今後もっとそのあたりを勉強してみたいと思います。
もう1人は、徐福(じょふく 別名:徐巿)【図③】です。方士で、仙術や占い術を修行していたと伝えられ、秦の始皇帝から、東方の三神山(蓬莱・方丈・瀛州)の仙人のところへ、不老不死の霊薬を探しに行く命令をうけた人物で、史記によると、3,000人の童男童女と百人以上の技術者、財宝や五穀の種子を携えて、東方に2回船出したが、三神山には到達せず、代わりに「平原広沢」と呼ばれる広大な土地を得て王となり、秦には戻らなかったと。
また日本各地に徐福伝説が残り、技術や文化を伝えた神として祀られるところもあり、歴史的事実と伝説が入り混じった人物と考えられます。例えば、京都にある籠神社の海部氏系図では始祖:ホアカリ=徐福/先代旧事本紀では:=ホアカリ=饒速日(ニギハヤヒ)で、この神社は元伊勢と言われ、奥宮に眞名井神社があり、前まで神紋としてユダヤの六芒星が使われていました。
また出雲王家の口伝による伝承では、(徐福=スサノオ) → (子ども:五十猛命) → (その子ども:天叢雲命「神武天皇」)とも言われています。天村雲命は徳島に日本唯一、延喜式内社「天叢雲神社」があり、日本の天皇の三種の神器が「天叢雲剣」です。徐福の渡来は史記では紀元前219年と210年として、逆算で、五十猛命(紀元前190年頃)→天叢雲命(紀元前160年頃)・・・。興味深い話ですね。 徐福の話に戻ると日本への影響など、多面的な文化的象徴として今日まで語り継がれてきています。細かく書いたら分からなくなるので、先に述べた「殷これもとは倭国なり」から紐解くと、島国日本と言われていますが、人は大いに移動しながら交じり合い暮らしていたのが分かりますね。
▲【図③】太白と徐福
また現在の韓国の南にあった古代の国々「伽耶(かや):任那」「百済」「新羅」【図④】。この辺りは倭国(ヤマト)の領地であったと考えています。明らかに高句麗(コマ:狛犬)を通じてイスラエルから移動してきた民族が建国にも関係しています。また日本の空白の150年「266年頃から413年頃」は中国側の歴史書から倭国の記載が消えて、この時に政治体制が大きく変わったのでしょう。現在の中国吉林省にある高句麗の「好太王碑文(こうたいおうひぶん)」には、倭軍が攻め込んできたという内容も書かれていて、倭国の朝鮮半島への積極的なかかわりも見えます。前方後円墳も14基発見されて、日本との繋がりを勉強していきたいですね。
「月の一族と阿波」 物語は日本阿波(徳島)へ収束していきます。阿波は「オオゲツヒメ」【図⑤】と古事記でも言われており、女神が祀られています。五穀の神とも言われますが、その名が示す通り、「オオゲツヒメ」は月氏族、すなわち「月の一族」と深く関係していると推測できます。中国史には大月氏(だいげっし)クシャーナ朝が存在します。興味深いことに、魏の国から金印が贈られた回数は、大月氏に一度、倭国に二度されています。
これは倭国、とりわけオオゲツヒメの阿波が月氏族で中国と特別な関係にあったこと示していると考えられませんか。月氏とは「月や星を信仰する一族」とも考えら、先に述べた倭国(古代日本)と中国の関係から考えても、「漢委奴国王印」と「親魏倭王印」は女王・卑弥呼(月氏族:オオゲツヒメ)に送ったのはないでしょうか。
▲【図④】古代朝鮮(歴史まとめ. netより)
▲【図⑤】オオゲツヒメ
ここで前編でも書いた四国の地下鉱物資源の『金・銀・銅・鉄・丹』を交易品目として中国や大陸と取引をしていたと考えます。最近もアメリカが石油という他国の地下資源を奪いにいっています。大昔から人間の営みは変わりません。不思議なことに四国の山間部に今も多くの人が住んでいます。古代は山間部の移動が便利と聞きましたが、水も食料も必要です。
また山間部の神社仏閣・奥宮がびっくりするほど大きかったりして、そもそもどうやって生計を立てているのか疑問でしたが、前編での越智先生の書籍を読むと、四国八十八カ所が構造線上の断層上に配置されていて空海(株式会社空海)は山師で地下鉱物の交易で稼いで、中国で密教の奥義を恵果阿闍梨から買い取ったのではと。200人以上の弟子がいて20年必要な修業を半年で終えて免許皆伝されていますので。手に持つ錫杖がダウンジングとも聞きました(笑)。
また平家の落人が山間部で暮らすのにも理由が必要ですね。平家は日宋貿易で地下鉱物資源の交易で稼いでいたとのことです。その中でも「其山有丹」の若杉山辰砂採掘遺跡も外せない大きな証拠の一つです。古代から中国と繋がりのあった月氏族が、鉄等の地下資源がなかった「中国・魏の国」と交易していたと考えるとピッタリと双方の利益が一致します。
古事記の三貴神「アマテラス」「ツクヨミ」「スサノオ」【図⑥】は、太陽・夜・海を象徴しており、ツクヨミは、その後、記紀にはあまり出てこず、最近ツクヨミは「夜→予」(よ)で現在の愛媛を中心に治めていたとの話が私には腑に落ちていますが、この月氏「月読」族からお釈迦様が生まれた等、世界に目を向けると面白い話が見えてきます。
▲【図⑥】三貴神
例えば国旗を見ると、太陽の象徴のグループ【図⑦】と月の象徴のグループ【図⑦】があります。現在の日本は日の丸、太陽信仰の国です。一方、トルコをはじめ中東には、三日月と星を掲げる国が数多く存在します。夜、月や星を頼りに航海や、移動してきた一族が、月と星を信仰してきた人々であり、月読(ツクヨミ)の一族であったと考えられると思います。
では、太陽信仰と月信仰の違いはなんでしょうか。一つは時間の測り方(暦によって季節を正確に管理)であり、暦には、太陽に重点を置いた太陽暦、月に重点を置いた太陰暦があり、この二つの暦の歴史は古く、太陰暦の始まりは、古来メソポタミア。太陽暦の始まりは古代のエジプトと言われているようです。暦を支配するものが世界を制する。古代世界では、月の王国(月信仰)ができて、その後に太陽の王国(太陽信仰)ができたと言われています。要するに「月読命」月氏族が先に誕生しているのです。
余談ですが、エジプトの3大ピラミッドの配置が、オリオンの3つ星は有名ですね。そうなればエジプトも当初は月(星)信仰だったのではと考えてしまします。さらに余談ですが、陰陽師のシンボルマークの陰陽(いんよう)【図⑧】は、陰という言葉の方が先に来ています。なぜかというと、万物は闇がなければ生まれないからです。聖書では「光あれ」と記述されており、それは闇が先にあったからです。
古事記等の日本神話では、アマテラス族(太陽)、ツクヨミ族(月)、スサノオ族(海)という三貴神を部族間の統合の象徴として登場させているように思えます。さらに一言言わせてもらうなら、生まれた場所が『竺紫の日向の橘の小戸の(阿波)岐原』で伊弉諾が禊をしてと。最早、阿波と書かれていますよね(笑)。日本から世界を回った縄文人が世界各地で文明を起こしながら旅をして、世界一歴史が長く、部族間結婚等を繰り返し、交じり合い暮らしてきたのが倭国日本です。単一民族の国ではなく、役割と信仰を分かち合いながら、多くの民族が訪れる「国譲りで和合して治められてきた国」だったのではないでしょうか。
▲【図⑦】月の国旗
▲【図⑦】太陽の国旗
▲【図⑧】陰陽のマーク
こうして世界各地を巡った人類の旅は、最終的に日本へと収束する。その中心は天皇家の出里でもある阿波であった。それは天皇が変わられる践祚大嘗祭でも最重要供物「あらたえ」【図⑨】を千何百年も徳島木屋平の地から、御殿人と阿波忌部から作製して届けられている実績があります。古事記の国産みでも伊予の二名島(伊の国)として最も早く生まれます。
さらに高根先生や木内鶴彦氏が解説する、超古代にソロモンの秘宝聖櫃アークが持ち込まれたと伝承があり、世界の聖者、キリストや釈迦が来られたとも言われ、「11年に一度光柱が地面から空に向かって立つと言われる聖なる山・剣山を擁する阿波」【図⑩】だったのではないでしょうか。
纏めると、多くの民族・部族がこの地で再び出会い対立ではなく一緒に暮らすことを選んだ、これほど多様な民族と信仰を受け入れ、長い歴史の中で共存を実現してきた国は世界でも稀ではと思います。それは、日本という国の歴史が長く色々な艱難辛苦を伴う経験を積んだ国だったからこそ可能だったのかもしれませんね。そしてその精神的な中心が、阿波にあったとするならば、グレートジャーニーは、世界から倭国阿波へ帰還する物語だったと言えるのではないでしょうか。うーん、言いすぎでしょうか(笑)(笑)(笑)。
これからも人類は旅を続けます。
▲【図⑨】あらたえ調進
▲【図⑩】剣山光柱
今後より精神世界が重要視されると言われていますが、より良い世界に進むことを心より願っております。 好き放題に書かせて頂きましたが最後までお読み頂きありがとうございました。 また次回から多くの諸先輩方との執筆になります。 引き続き「あわわWEB 邪馬台国は阿波だった」を宜しくお願いいたします 。
参考文献
(左)■河原白兎著/古代の渡来人。多民族国家日本誕生
(右)■越智正昭著/サイエンスで読み解く 最終結論 邪馬台国は阿波だった!(リベラル新書 010)Amazon
■東アジア史を塗り替えた民族大移動の潮流 – 日本とユダヤのハーモニー&古代史の研究
【執筆/ヤマモトタケルノミコト】 [問い合わせ先]heartfull80@gmail.com |
ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶邪馬台国は阿波だった!(YouTube)
▶▶アワテラス歴史研究所アワラボ(Facebook)
▶▶一般財団法人阿波ヤマト財団(公式HP)
テーマ⑱【完】。
次回のテーマは・・・
シーズン2スタート「オオゲツヒメとは」
記事公開日は2026年4月1日(水)。乞うご期待










