2026/05/01 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】3話目/豊玉姫と阿波の関係
古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
シーズン2からニューカマーの執筆者も3名加わり、新たな視点・論説を繰り広げてくれることに期待してます(シーズン1から引き続き執筆していただける5名の皆様にも多謝致します)。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。
この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。
※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。
邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】3話目/豊玉姫と阿波の関係
通説
『古事記』では豊玉毘売・豊玉毘売命 『日本書紀』では豊玉姫
海神の娘。火遠理命と結婚して、神武天皇の父となる鵜葺草葺不合命を生む。 海神の宮にやってきた火遠理命(山幸彦)と結婚し、御子を出産するため地上へ行き完成前の産殿で出産した。元の姿に戻って産むので見ないようにと伝えたにもかかわらず、火遠理命は出産の様子を覗き、八尋和邇の姿になった豊玉毘売命を見て逃げ去った。出産後は海と陸とを行き来して御子を育てようと考えていた豊玉毘売命だが、本来の姿を見られたことを恥じて海坂(海神の国と現し国の境)を往来ができないように塞ぎ、海の世界に帰ってしまった。
しかし、恨みながらも火遠理命を恋しく思った豊玉毘売命は、御子である鵜葺草葺不合命の養育のために妹の玉依毘売命を送り、それに託して火遠理命に歌を贈った。
神名の意味は、妹の名が玉依毘売であることもあって、「豊」は美称、「玉」は魂で、神霊の依り付く乙女の意、あるいは「玉」は海神の神宝である真珠をさすとして、多くの真珠によって容儀せられた神聖な巫女の意とされている。
出産時の姿について、『古事記』では「八尋和邇」、『日本書紀』一書一では「八尋大熊鰐(やひろくまわに)」、一書三では「八尋大鰐(やひろわに)」と書かれているが、『日本書紀』本書では竜の姿になっていたと記されている。竜は大陸の影響であるといわれているが、「和邇」については、爬虫類のワニは日本に生息していないため、鮫のこととするのが今日の定説である。「和邇」については、和珥氏(わにうじ)に関係する氏族との説もある。
「和邇」の姿になって匍匐したという記述は、ある人間集団が特定の種の動植物あるいは他の事物と特殊な関係をもっているとする信仰、制度であるトーテミズムの理論から、豊玉毘売は族霊(トーテム)である鰐の形を真似て分娩したのであり、異なるトーテムを信奉する夫が出産儀礼を覗き見ることはタブーとされ、それを破った制裁として夫婦関係が破棄されたとする説がある。それに対して、オリエント発祥のトーテム近似の水霊信仰、すなわち竜蛇の化身と王権や英雄との婚姻の物語を母胎としているとする説もある。
火遠理命がタブーを犯したために、豊玉毘売は海神の国と現し国の境である海坂を塞ぎ、人の世から立ち去ってしまった。これは、海と陸の世界が自由に往来できないことの由来を語っている神話であると同時に、神々の時代を記述した『古事記』上巻の最後に置かれることで、神話的世界を閉じるべき役割を果たしているという見方もある。
他にも「見るなの禁」を破ったことで女が恥を覚え、境を塞ぐ構成は、伊耶那岐命と伊耶那美命の別離と類似しているとの指摘や、説話の構成について、妊娠を申し出た箇所の記述が、豊玉毘売と木花佐久夜毘売とで類似しているとの指摘もある。 豊玉毘売が、初代神武天皇の父「鵜葺草葺不合命」の母親であり、『延喜式』神名帳には、阿波国名方郡の項に、「和多津美豊玉比売神社」と「天石別豊玉比売神社」が掲載されている。
▲豊玉姫と妹(玉依姫)。
●中年タケシ氏の説(New!)
●オキタリュウイチ氏の説
●百万平氏の説(New!)
●シン・きーちゃん氏の説(New!)
●ヤマモトタケルノミコト氏の説
●藤井榮氏の説
●山内雄二氏の説
●ANYA氏の説(今回は休載)
中年タケシ氏の説/豊玉姫の生まれ故郷を考察
こんにちは中年タケシです。豊玉姫とは?(基本プロファイル)。まず、彼女がどんな神様かを簡単に紹介します。
正体: 海の神「大綿津見神(オオワタツミ)」の娘。
夫: 山幸彦(ホオリノミコト)。
子: ウガヤフキアエズ(初代・神武天皇の父)。
エピソード: 出産の際、本来の姿(サメ、あるいはワニ)に戻っているところを夫に見られ、恥じて海へ帰ってしまったという「異類婚姻譚」で有名です。
阿南市沖に浮かぶ四国最東端の島・伊島。ここは、日本神話で山幸彦が訪れた海の神の宮殿「綿津見宮(わたつみのみや)」の比定地として、驚くほど多くの符合を見せています。
潮の流れが導く「魚鱗の宮殿」
神話では、塩土老翁(シオツチ)が山幸彦のために「無間勝間(まなしかつま)」の小舟を造り、潮の流れに乗せて綿津見宮へと導きます。橘湾の中に高島と言う小島があります。高島の地名の由来は、竹島の意で、矢竹を産することから名付けらました。往昔、無量寿山(むりょうじゅさん)薬王院竹林寺という寺院があり、千戸が帰依していたが、地変により村落共に陥没して海となったという千軒水没の伝説があります。山幸彦を小舟に乗せた地域には山幸彦に因む地名もあります。「旧那賀郡島村塩田絵図より」現在は徳島県阿南市橋町幸野。昔は幸野浜と呼ばれていた。
伊島周辺は今も紀伊水道の複雑な潮流が渦巻く場所であり、漂着物の集積地として知られる「僧渡浜(そうどはな)」は、まさに潮の流れが辿り着く終着点です。
古事記は、綿津見宮を「魚鱗(ぎょりん)のように造った宮殿」と記します。伊島を上空から、あるいは南側から眺めると、その起伏に富んだ断崖絶壁が、あたかも魚の鱗が重なり合うような神々しい姿を見せています。
神話の舞台を裏付ける地名と痕跡
伊島とその対岸の阿南市橘周辺には、神話の記憶が地名として色濃く残っています。
アシカ碆(ばえ): 綿津見宮で山幸彦が座った「海驢(アシカ)の皮の畳」を連想させる、かつてのニホンアシカの生息地。野尾辺湿原と池塘(ちとう): 豊玉姫の侍女が水を汲みに来た「井戸」を彷彿とさせる、湿原に点在する小さな池。
弁天島: 侍女が山幸彦の入れた玉を「器から離せない」と報告した場面を象徴するかのような、陸続きの球状の小島。
境界線「海坂(うなさか)」を越えて
山幸彦の帰還先とされるのは、徳島市国府町周辺の王子和多津美神社や、不動西町の雨降神社です。伊島からこれら神社までの直線距離は約40km。海人族が操る「ワニ(舟)」であれば、潮の流れを味方につけて一日で到達できる現実的な距離です。出産を覗き見られた豊玉姫は、海神の国と人の国を隔てる「海坂」を閉じて海へ帰ります。かつては眉山や日峯山さえも海に浮かぶ島だった時代、この一帯はまさに神域と人間界の境界線だったのでしょう。
永遠の愛の象徴・橘
王子和多津美神社の御神紋は「橘」です。橘は常世(とこよ)の国からもたらされた不老不死の象徴であり、万葉集では「待つ」という言葉に掛けられ、変わらぬ愛を象徴します。豊玉姫と山幸彦は、別れた後も歌を贈り合い、互いを想い続けました。伊島に眠る神話の断片は、単なる伝説ではなく、古代阿波の海人族が大切に守り伝えてきた、壮大で切ない愛の記憶なのです。
詳しくはYouTube、「なぜ伊島が綿津見宮だと考えられるのか 地理と伝承から読み解く」をご覧くださいませ。
【参照リンク】
① なぜ伊島が綿津見宮だと考えられるのか 地理と伝承から読み解く(YouTube)
▲旧那賀郡島村塩田絵図より。幸野浜がある。山幸彦がこの地で塩土老翁(シオツチ)と出会った。
▲ 「如魚鱗所造之宮室」。そのまま潮流に乗って進むと魚鱗のように造った宮殿がある。伊島を逆さまにすると、魚の形に見える。 鱗の例えは伊島の断崖絶壁の岩の模様。
【執筆/中年タケシ】 [問い合わせ先]なし |
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オキタリュウイチ氏の説/豊玉姫と阿波の深い関係:天皇家ルーツの鍵は徳島にあり?
「豊玉姫(トヨタマヒメ)」という神様の名前、聞いた事ある?「海神(ワタツミ)の娘」でワダツミといえば、映画「ゴジラ-1.0」では、劇中でゴジラを沈めるための作戦名として「わだつみ作戦」が登場したり、軍歌「わだつみの歌」、映画「きけ、わだつみの声」など、海との関連を示すメジャーな神名になっている。で、古事記によるとトヨタマヒメは、山幸彦として知られる火遠理命(ホオリノミコト)と結婚した、日本神話のヒロインの一人なんだ。そして、この神がいないと、日本国建国は成し得なかった!なんとこの神、初代・神武天皇のおばあちゃんにあたる神なんだよね。日本にとって相当重要な神様なんだ。
◾️豊玉姫の切ない物語
まずは本日の主役、彼女にまつわる有名なエピソードを紹介しておこう。海神の宮で火遠理命と結ばれた豊玉姫は、出産のために地上の海岸へやってきた。彼女は「本来の姿に戻って産むので、決して中を覗かないでください」と夫に伝えるんだけど、夫は約束を破って産殿を覗いちゃう。よくある話だよね。そこで夫が見たのは、巨大な和邇(サメ?)の姿になって出産する姫の姿だった!正体を見られたことを恥じた姫は、生まれたばかりの子(後の神武天皇の父)を残し、海の世界へ帰ってしまう。愛し合いながらも、二度と会えないよう境界を塞いでしまったという、悲しい別れの物語なんだ。
◾️なんと「豊玉姫」を冠する式内社は阿波にしかない!?
平安時代の「延喜式」に記載された名神大社・小社の系統を引き、古代の鮎喰川河口(現在の国府町周辺)に鎮座していたとされる。これは、徳島の人が勝手に言ってるんじゃないんだ。國學院大學の研究データベースなどを見て欲しい(*1)。古くからの格式高い神社(延喜式内社)の中で、豊玉姫の名前をメインに冠している神社は、実は阿波(徳島県)にしか存在しないことがわかる。神社関係者や、神道研究家に聞いて見るといい。マトモに勉強している人なら、「トヨタマヒメは阿波にしか祀られていなかった、阿波の姫だ」とわかるだろう。徳島には「和多都美豊玉比売神社」や「天岩戸別豊玉比売神社」といった彼女を祀る延喜式内社が残っており、これは彼女の本拠地がここだったという強力な証拠と言える。
◾️ 「和多都美豊玉比売神社」神名の謎
和多都美豊玉比売神社、現在の王子和多津美神社(徳島市国府町)は旧和田村に位置し、地名の「和田(わだ)」は和多都美(わたづみ)に由来し、ここが豊玉姫の生誕地だという。
または徳島市入田町の「雨降(あまたらし)神社」がその旧跡・論社とされている。天皇の名前には「アマタラシ」といった名前が多く見られるが、これは「海族(あまぞく)」を指す言葉だとされる。海からやってきた一族が皇室の礎を築いたのであれば、その中心である豊玉姫が阿波にいたことは非常に自然な流れだ。おとなり讃岐国三木郡にある和爾賀波神社(式内社)にも、豊玉比売が「鰐(和邇)」に乗って鴨部川を遡った社伝が残っている。他の地域ではサブキャラクターのような扱いをされることも多い豊玉姫が、阿波ではこれほどまでに重んじられている。その後、縁のあった対馬などにも祀られる。
「神武天皇のおばあちゃんは徳島出身だった」。そう考えると、四国の歴史がガラッと違って見えてこないだろうか。翡翠の勾玉などの出土品も含め、阿波にはまだまだ日本の始まりを解き明かす鍵が隠されている。これを知った読者のみんな、是非お参りに行こうね!
【参照リンク】
(*1)國學院大學の研究データベース
【執筆/オキタリュウイチ】 [問い合わせ先]office@deepbranding.jp |
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百万平氏の説/忌部と海神信仰の交差点
日本神話に登場する海神の娘・豊玉姫は、山幸彦の妃となり、海と地上を結ぶ存在として語られます。一般には日向神話の人物として知られますが、神社分布を見ると阿波国に特徴的な痕跡が残っています。
注目すべきは、豊玉姫の名を冠する延喜式内社が阿波に集中している点です。該当するのは和多都美豊玉比売神社と天石門別豊玉比売神社の二社で、全国でも豊玉姫の名を持つ式内社は阿波のみとされます。これは阿波における豊玉姫信仰の特別性を示すものといえるでしょう。
中でも興味深いのが天石門別豊玉比売神社の神名です。「天石門別」は岩戸神話を想起させ、祭祀氏族である忌部氏との関係を感じさせます。忌部氏は天太玉命を祖とし、阿波を本拠としたとされます。忌部神社の存在からも、この地が祭祀文化の中心であったことがうかがえます。天石門別という神名は単なる神話的名称ではなく、忌部氏の祭祀世界と深く結びついたものかもしれません。
その神名に豊玉姫が並んで祀られる点も象徴的です。天孫系・祭祀系の神格と海神系の神格が一社に結びつく構造は、阿波において忌部文化と海神信仰が交差していた可能性を示します。
さらに阿波には粟飯原家系図が残り、海神系統との関係をうかがわせる伝承も見られます。佐那河内中学校の校歌にある「忌部海部の手と手をつなぎ」という一節も、こうした文化の重なりを象徴しているように思われます。
なお私見ですが、和多都美豊玉比売と天石門別豊玉比売は別神ではないかと考えています。『阿波式内神社考』には、和多都美豊玉比売が琉球の豊見城・玉城の雨乞い神と同一とする記述があります。「豊」と「玉」の地名一致は偶然とは言い切れず、そのルーツが琉球(竜宮)にある可能性も想像してしまいます。
▲佐那河内村 大宮八幡神社境内。
▲徳島市 雨降神社。
【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】 沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。 [問い合わせ先]なし |
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シン・きーちゃん氏の説/豊田姫と阿波
お元気様です。今回は「豊玉姫と阿波」について、ちょっと歴史沼っぽい視点から語ってみたいと思います。
豊玉姫って、神話の中ではわりと有名なのに、「じゃあこの神様ってどこでどう重視されたの?」となると、急に霧が出るんですよね。阿波との関係もまさにそれで、一次史料で「豊玉姫=阿波の神」とまでは言えません。そこは慎重に見ないといけない。でも逆に、その“言い切れなさ”がめちゃくちゃ沼なんです。
『古事記』『日本書紀』で豊玉姫は、海神・綿津見神の娘として登場し、山幸彦こと火遠理命と結婚して、鵜葺草葺不合命を生みます。つまりこの女神、海神の系譜と、山の神の系譜を持つ天孫側をつなぎ、その先の皇統へ橋をかける存在なんです。國學院大學の解説でも、山海二つの領域の呪力や支持を王統へ取り込む神話構造が整理されていて、豊玉姫が“つなぐ女神”なのはかなり根拠が強い。
ここからは私の妄想ですが——。
豊玉姫って、ただの海のお姫様ではなく、海人族にとってかなり特別な、巫女的な存在だったんじゃないかと思うんです。もちろん「豊玉姫は海人族の巫女だった」と書いた一次史料はありません。でも、海界と地上界を往来し、婚姻で権威を受け渡し、出産の場で本来の姿をあらわし、子の継承を妹へ託す。この神話、境界・変身・継承の匂いが濃い。かなり呪的です。
しかも父の綿津見神は、安曇氏が祖神として奉じた海神で、その中心的祭祀拠点が志賀島の志賀海神社。つまり豊玉姫は、安曇氏の信仰世界のど真ん中にいる“海神の娘”なんですよね。さらに古代には、猿女氏のように女性祭祀者が制度的に存在し、比較民俗でも海へ出る男性と、陸で祭祀を担う女性という構図が見える。ここを重ねると、豊玉姫を海人世界の女性霊威の象徴として見る妄想、わりと筋は通る気がするんです。
で、その受け皿として阿波を見るとまた面白い。阿波には『延喜式』に「和多都美豊玉比売神社」「天石門別豊玉比売神社」という豊玉姫系の式内社が二つ見える。しかも阿波は忌部氏の本拠で、祭具や祭祀資材を王権へ供給した、いわば祭祀のハブ。そこに大宜都比売や八倉比売のような女性神格の濃い土地柄まで重なる。となると、海神系の女性神である豊玉姫が、阿波という女性霊威の強い祭祀圏に受け入れられた…そんな見方もしたくなるんです。
海の王女が阿波で式内社になる、この配置はちょっと出来すぎてる。こういうの、誰かに語りたくなるんですよね。
一緒に歴史沼にハマりましょう!
▲豊玉姫と阿波。
【執筆/きー(Key)】 [問い合わせ先]history.key21@gmail.com |
きー氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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▲上一宮大粟神社の本殿。
ヤマモトタケルノミコト氏の説/豊玉姫、それは海人族の娘で、後に阿波の大女王になる豊玉姫です
『古事記』において、海神の娘として登場し、天孫、瓊瓊杵尊の子ども山幸彦(火遠理命)と結ばれ、初代神武天皇の父「鵜葺草葺不合命」の母親であり、神武天皇へと連なる命の系譜を生み出す存在として描かれています。そして『延喜式』神名帳の阿波国名方郡の項に、「和多都美豊玉比売神社」と「天石別豊玉比売神社」が掲載されています。もう一回言いますよ~(笑)。 初代神武天皇のお祖母ちゃんで、阿波には延喜式内社として大事にするようにと言われている「豊玉姫」に関係する神社が2つもありますよ。これは「阿波から倭が始まった」決定的な証拠だと思います。状況証拠で決定しても良いレベルの話だと私は思っています。神武天皇のお祖母ちゃんが阿波では海神の大女王として大事に祀られているのです。この事実は覆せれないですね
「和多都美」と「天石別」の2つの謎についてですが、「ワタ」は海の古語と聞きますが、私の想像では「和多都美」は字の読みからも、大綿津見神(おおわたつみのかみ)にも繋がり、綿(わた)の貿易で財を成した海の一族と考えています。よく秦一族がシルクロードを通して絹を持ってきたと聞きますが、海を通じて古くから綿貿易をしている一族は、古代から綿が栽培されているインドで、そこから貿易していたのでは。モヘンジョ・ダロ遺跡からは紀元前2500年の綿布が発見され、インドの綿はアラビア商人によってヨーロッパにもたらされています。勿論日本にも来ていると考えるのが普通ですね。余談ですが、インドにはワニ神のクンピーラ(金毘羅)に乗った女神ガンガーがいます。豊玉姫は出産時にワニの姿になっていますね。その後、ワニ神「クンピーラ(金毘羅)」は、日本には馴染みのないワニであった為、蛇神、龍神へと変化習合したとの説があります。言わずもがなですが、香川県琴平町の金刀比羅宮(こんぴら)を総本宮とする金毘羅信仰(海上交通の守り神)です。
また後者の「天石戸」は天岩戸の神話にも通じ、阿波で活躍した忌部一族と関わっていると想像できます。眉山麓の春日神社の境内の説明書きに下記内容(一部抜粋)が書かれています。
【豊玉比売神社の御祭神は天石門別豊玉比売であります。此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王で、わが国天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと称され、発言を封じられていた阿波国ですが事実の前にはさからえなかったのでしょう。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。日孁命と同様、天石門別豊玉比売が豊日孁命の殯宮、同じく式内社和多都美豊玉比売神社が「古事記」海幸彦、山幸彦の物語中に出てくる龍王宮の宮殿跡を社地として祀られています。わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。はるか太古、神々の物語時代から天石門の外界に現れた意味で、この神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命であることが歴然としています】
豊玉姫は、単なる海の女王ではなく、「境界を越える存在」であり、「命を運ぶ存在」であり、「文明の始まりを告げる存在」である。その神話を阿波に重ねるとき私たちはひとつの確信に至ります。すなわち――海から来た神が最初に根を下ろした場所、それが阿波であり、こここそが日本の原点である可能性です。
阿波の東の海岸線に面した地域を玄関口として、ここに海神族が降り立ち、海の叡智と生命の力を携えて内陸へと進んだとすれば、その足跡は雄大な吉野川流域へと続き、現在の徳島市国府や石井町から上陸して倭国の基盤となった可能性を大いに感じますね。阿波の大女王、豊玉比売を永く祀り繋げていきましょう。
▲豊玉姫系図。インドの鰐神クンピーラ。
【執筆/ヤマモトタケルノミコト】 [問い合わせ先]heartfull80@gmail.com |
ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶邪馬台国は阿波だった!(YouTube)
▶▶アワテラス歴史研究所アワラボ(Facebook)
▶▶一般財団法人阿波ヤマト財団(公式HP)
藤井榮氏の説/海人族の大女王「豊玉比売」の御霊(みたま)
◆阿波「倭(やまと)」天皇家を語るとき外すことの出来ない女神二柱、太陽神皇祖「大日孁(おほひるめ)命」(天照大神)と海人族大女王「豊日孁(とよひるめ)命」(豊玉比売(とよたまひめ))。今回は語らずにはいられぬ大女王「豊玉比米」の御霊についてのお話です。 ◆この豊玉比売、ワニに変身した海人族の大首長と記されたとおり、言わずと知れた生粋の長族「長の国」の女王で、長族は大変に古い歴史をもつ民族と思われ、インドのナーガ族との関係もあるように思われる水辺の民族の女王です。 ◆延喜式神祇録(神名帳)でも他国では一切祀られていませんが、阿波国内ではわざわざ二座、徳島市国府町井戸寺辺りに式内社「和多都美豊玉宮」(社殿消滅)、同市徳島町城内「徳島中央公園」(現、徳島城跡)に式内社「天石門別豊玉比売神社」(豊玉比売の神陵跡)を定め豊玉比売の故里を正確に指示しています。 ◆この大女王がいたればこそ孫の「神倭伊波礼比古(かむやまといはれびこ)命」(初代神武天皇)の存在があり、人皇天皇家の歴史が始まるのです。
◆豊玉比売が生まれ育った井戸寺辺りの式内社「和多都美豊玉宮(わたつみとよたまぐう)」跡、昔は和田村全村にまたがるほどの大寺「妙照(みょうしょうじ)寺」があり和田村はこの寺の寺領ですが、この寺の母屋が豊玉宮なのです。度々の火災に遭いその一部が現在の「井戸寺」として残っています。 ◆出逢いの“面影の井戸”は現在空海伝説で井戸寺の名物にされていますが古事記伝説の井戸です。
◆では、豊玉比売の運命の人との出逢いからお話しましょう。神聖な桂の木の上の光り輝く美しい男と目と目が合って互いに一目惚れで即結婚となったお相手「火遠理(ほをり)命」(山幸彦)はどこから綿津見神の宮(海の宮)へ来たのか。 ◆阿波倭の「倭城(わき)」(現、美馬市脇町)の人、父は天孫「邇邇芸(ににぎ)命」、母は吉野川北岸板野郡上板町の「木花之佐久夜比売(このはなさくやびめ)」(大山津見神と鹿屋野比売(かやのひめ)神との間の子)です。 ◆「邇邇芸命」は阿波では“白人(しらひと)大明神”と呼ばれ、美馬市穴吹町口山宮内「白人神社」で祀られ、元社は南側の山上殯宮(もがりのみや)「神明(しんめい)神社」(磐境(いわさか)“五社三門”※)にありました。 ◆「木花之佐久夜比売」は死期を悟って生地板野から何とか夫の宮(白人神社辺り)までたどりつき血を吐きながら命絶えました。「白人神社」穴吹川対岸北側の「血野」(現「知野」)と名付けられた地に比売をお祀りする「新宮(しんぐう)神社」がひっそりと鎮座しています。 ◆このとき残された皇子の一人山幸彦が豊玉龍王宮を尋ねて豊玉比売と巡り逢い結婚、二人の皇子「鵜葺草葺不合(うがやふきあへず)命」、そしてその皇子「神倭伊波礼比古命」(初代神武天皇)に繋がってくるのです。
◆豊玉比売、阿波では「廣濱(ひろはま)の神」とも呼ばれ、大日孁命のご葬儀の折、大国主命に従って神衣を差し上げた「広浜の神」は豊玉比売の幼い時の物語です。「広浜の神」は、大日孁命の神陵北の麓近く(徳島市国府町阿波史跡公園の一角)徳島市立考古資料館の約100m余り西、有数の古墳地帯の中に「廣濱神社」として鎮座しています。 ◆ 「大日孁命」の鎮まる天石門別八倉比売神社を見るにつけても、天皇家血脈の大先祖になっているこの大女王豊玉比売をもっと大切にすべきではないかとの思いが募ります。そうでないとこれからも豊玉比売の祟りが続くのではないかと。
◆豊玉比売神陵跡「天石門別豊玉比売神社」は、大正八年岩利大閑氏の祖父・父君が当時東京帝大人類学者小金井良精博士の指導の下、城山一帯の古跡調査を行った際、貝殻の腕輪をつけ頭髪に本櫛を飾った女性の完全な人骨、全国でも珍しい大粒の砂金を練り込んだ素焼きの壺の一片とともに、土中の大きな一枚の青石の上に乗せられた頭蓋骨が出土、“清玄(せいげん)坊騒動”頃に一致したそうですが、出土人骨・頭蓋骨等重要なものは小金井良精博士が東大人類学教室へ持ち帰られました。 “清玄坊騒動”‥‥
◆事は1585年蜂須賀氏入国時に起こりました。豊玉比売神陵は清玄坊がお守りしていましたが、家臣団が築城に抵抗したとして打ち首にしたところ、夜な夜な飛び回る首に藩主もとりつかれて病となりました。以後、藩が続く限り代々藩主自ら神主となって“豊玉龍王宮”の祭祀を行うと誓約、明治の初めまで藩主自ら神官役で神事を執り行い、龍王宮の前では藩主自らも乗馬のまま通ることも禁止とした申し送りをしてきたのですが、明治以降居城地を地元自治体に寄附し東京暮らしとなったため龍王宮の神事もばったり途絶え、残された小祠を蜂須賀家歴代藩主を祀る眉山東下「國瑞彦(くにたまひこ)神社」(徳島市伊賀町)に合祀しましたが戦災で痕跡さえ無くなってしまい、現在残されているのは“龍王宮”の池のみとなっています。 ◆豊玉比売殯宮とともに祀られていた摂社「住吉明神」は、もともと以乃津城山山頂にありましたが、徳島城築城時に城山鎮守として、“清玄坊騒動”後に城北の出来須島に「住吉神社」(徳島市住吉1丁目)として移され現在に至っています。藩主江戸出仕の折にはお参りをされるのが習わしであったそうです。
◆不思議なことに豊玉比売の神事が途絶えるや、蜂須賀家が崩壊、市制発足当時は全国十大都市の一つに数えられてその財力を誇った徳島市は衰退の一途、首長も栄えたためしがありません。 ◆古代皇都“倭”に生きる私たちに豊玉比売が問いかけていることは何か。このことに本腰を入れて真剣に向き合わなければ我が徳島の復活、そして発展は望めないのではないでしょうか。
※ 先年、この“五社三門”磐境の存在を知った駐日イスラエル大使が故国イスラエルと 祭祀形態が同じであると驚き、現地を訪れています。豊玉比売
【参照リンク】
① YouTubeチャンネル古代史塾 「皇祖の地を証明 豊玉比売」~生誕の地・神陵~
② 小著『古代史入門』93~95頁、同 『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』テーマ10(44~45頁)・テーマ11(46~49頁)(Amazon電子書籍・印刷本)
▲「女性人骨出土地」(徳島公園内城山東側)。
【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】 [問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp |
藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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山内雄二氏の説/豊玉姫の出産譚
豊玉姫は海神・大綿津見神の娘であり、初代・神武天皇の祖母に当たる女神である。阿波国では、和多都美豊玉比売神社および天石門別豊玉比売神社という二社の式内社に祀られており、阿波にとって極めて重要な神様である。天孫降臨した瓊瓊杵尊の御子である海幸・山幸兄弟の神話は広く知られているが、ここでは弟の山幸、すなわち彦火火出見(ひこほほでみ)尊と婚姻した豊玉姫の出産譚に焦点を当ててみたいと思う。
彦火火出見尊は、海宮(わだつみのみや)で豊玉姫と三年間の新婚生活を送った後、土産を貰って陸へ帰還した。その後、豊玉姫は自らが身籠ったことに気づき、高貴な天つ神の御子を下つ国の海で産むわけにいかないと決意して尊の後を追う。しかし、途中で産気づき、浜辺に鵜の羽と茅で急ごしらえの産屋を建て、迎えに来た尊に「絶対に覗いたらあかん」と告げて出産に臨んだ。ところが、尊は姫との約束を守らず出産の現場を覗き見てしまう。そこで目にしたのは、姫が巨大な鰐(わに=鮫)の姿となり、のた打ちながら御子を産もうとする姿で、尊は驚愕して逃げ帰ってしまう。このことを恥じた姫は、生まれた御子に「鵜葺草葺不合(うがやふきあえず)」と名付け、養育を妹の玉依姫に託して、ひとり海宮に還っていった。
以上が有名な豊玉姫の出産の顛末である。ここからは、鵜葺草葺不合尊が生まれた場所について、阿波説を手掛かりに考証を試みたい。
海宮の場所については、昭和60年に岩利大閑が著した『道は阿波より始まる・その一』に従い、式内社・和多都美豊玉比売神社に比定される井戸寺(徳島市国府町井戸)と考える。さらに、身籠った豊玉姫が向かおうとした彦火火出見尊の居所については、父神・瓊瓊杵尊が天降り、母神・木花咲耶姫とともに宮を営んだ場所こそが、尊が育った場所であると推定される。本稿では高天原から葦原中国への天孫降臨の経路について詳述する紙幅を持たないので、筆者の考証結果のみを示すが、瓊瓊杵尊は、明神山(阿南市/美波町)に降臨し麓の峯神社(主祭神・木花咲夜比売命、阿南市椿町)に宮を構えたと考えている。明神山の山頂には峯神社の奥社があり、さらに近隣には木花咲耶姫を祀る式内社・室姫神社(阿南市新野町)も鎮座している。
『日本書紀』神代下第十段一書第四によれば、火折尊(彦火火出見尊)が釣り針を失くして浜辺で憂えていたとき、塩筒老翁(塩椎神)が現れて「八尋鰐が橘之小戸に居るので、それに乗って海宮へ案内する」と誘った。この「橘之小戸」は、伊耶那岐命が禊をした「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」と同一の場所と考えられるため、阿南市福井町後戸に比定できる。実際、この地は峯神社から近い距離に位置しており、地理的整合性も高い。
さて、海宮である現・井戸寺(徳島市国府町)から、身重の豊玉姫が峯神社(阿南市椿町)へ海路で向かう途中に産気づき、浜に上がった場所はどこであろうか。往古には入江であった吉野川下流域から徳島県東海岸に沿って南方へ地名を探索すると、橘湾の北部に「鵜渡島(うわたりじま)」が存在する。その島の北側には、まるでニワトリが逆立ちしたような形状の岬が突き出し、そこに「袙(あこめ)海岸」がある。旺文社の『古語辞典』によれば、「袙」とは高貴な婦人・童女の肌着を指す語である。袙海岸はさほど広くはないものの景色の良い砂浜があり、阿南市教育委員会が平成11年に刊行した『ふるさと阿南』には、神功皇后が三韓征伐の還りに袙を干したという言伝えが記録されている。また、浜には地元で「大潟の龍宮さん」と呼ばれる「龍宮神社」が海に向かって鎮座している。さらに、海岸の裏手から鵜渡島が望める地点まで海沿いに歩くと、海鵜の姿と広い葦原を実際に確認することができた。この袙海岸を豊玉姫が鵜葺草葺不合を出産した地と断定することはできないが、伝承・地形・地名の諸要素からみて、候補地と想定しても矛盾はない。
余談ながら、『日本書紀』本文では、豊玉姫は鰐(鮫)ではなく「竜」に変化したと記されている。この記述が、龍宮や龍王宮といった名称の語源となった可能性が考えられる。ただし、豊玉姫が鮫や竜に変身するわけがない。では、なぜ彦火火出見尊は出産の場面を見て驚き、逃げ帰ったのだろうか。私事で恐縮だが、「うちのかみさん」の幼馴染に「律っちゃん」という小柄で可愛い女性がいる。彼女は後年、初産の体験をこう語ったという。「うちな、初めての出産で、うお~っ、うお~って大声出してな、皆をびっくりさせてしてしもうて、ほんまに恥ずかしかったんよ。ほなけんな、二回目は絶対大声出さんとこうて思うとったんやけんど、またやってもうてな、あはは…...」。このあたりが豊玉姫が「鰐になった」という説話の真相のような気がするのだが、さて、どうでしょうか。
▲袙海岸(阿南市大潟町)。
▲龍宮神社(袙海岸)。
【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】 [問い合わせ先]090-1136-7625 |
ANYA氏の説/
ANYA氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。
【執筆/ANYA(アンヤ)】 [問い合わせ先]anyautb@gmail.com |
ANYA氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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【シーズン2】3話目【完】。
次回は・・・
宅宮神社「式内社」の意富門麻比賣神社
記事公開日は2026年5月15日(金)。乞うご期待










