2026/05/15 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】4話目/宅宮神社「式内社」の意富門麻比賣神社
古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
シーズン2からニューカマーの執筆者も3名加わり、新たな視点・論説を繰り広げてくれることに期待してます(シーズン1から引き続き執筆していただける5名の皆様にも多謝致します)。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。
この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。
※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。
邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】4話目/宅宮神社「式内社」の意富門麻比賣神社
【通説】
宅宮神社(えのみやじんじゃ)は、徳島市上八万町に鎮座する神社
『延喜式神名帳』:阿波国名方郡「意富門麻比売神社(おおとまひめじんじゃ)」に比定されている式内社。唯一の大苫邊尊を祀る神社である。名方郡12社の1位に挙げられる名社で、874年(貞観16年)に従五位下の神階を得ている。主祭神は家宅・建築の神であるとされる。旧郷社。
■祭神:大苫辺尊・大歳神・稚武彦命 神紋:丸に五七桐
■祭事:例祭(11月3日) 祈年祭(旧暦2月1日) 夏祭り(7月15日)
神踊り(8月15日):徳島県指定無形民俗文化財。平安時代末期から始まったと伝えられる「五穀豊穣・悪病退散」を祈願する祭り。踊り歌は12種類あり、いずれも素朴な歌詞である。その中の「いずも踊り」の歌詞には、「魏志倭人伝」の邪馬台国の表記と一致する、13歳になった宗女(台与)が登場します。阿波国が初期のやまとのくに(邪馬台国)に含まれ女王国であったと推定されることと整合します。
また宅宮神社には、日本最古の文字とも呼ばれる「神代文字」が刻まれた版木が残されています。この神代文字は、漢字や仮名ではなく、記号のような線で構成されており、その起源や意味についてはいまだに謎に包まれています。神代文字は、古事記や日本書紀に登場する神々の記述と一致する部分があり、邪馬台国の表記とも関連しているとされています。
▲宅宮神社。
▲宅宮神社/神代文字。
オキタリュウイチ氏の説/宅宮神社「式内社」意富門麻比賣神社
全国でも徳島県にしか祀られていない神を祀る、徳島市上八万町に鎮座する「現・宅宮(えのみや)神社」。ここにはいったい、何が特別なの?
◾️徳島の聖地・意富門麻比売神社に眠る「最古の女王」
なんとここが、延喜式内社の「意富門麻比売(おおとまひめ)神社」なんだ。祀られている大苫辺尊(おおとまべのみこと)は、日本神話の神世七代(第5代)の女神で、男神・意富斗能地神(大戸之道尊)と対をなす存在。大地が凝固した時を神格化し、家屋の屋根や戸口、防壁の守護神とさている。イザナギ・イザナミが7代目の神なので、それよりも先輩の神様といえる。それが、全国で徳島県にしか祀られていない。古代の神なんだ。古代過ぎて、全くの謎の神である。
◾️伊勢神宮と並ぶ、貴重な「神代文字」の謎
この神社の凄さは、神社に伝わる文献に隠される。当社に伝わる貴重な版木には、日本固有の文字とされる「阿比留(あびる)文字」「阿波文字」などと言われる、いわゆる「神代文字」で祓詞(はらえことば)等が記されてる。驚くなかれ、この文字が現存するのが、ここ「宅宮(意富門麻比売)神社」、そしてあの「伊勢神宮」、そして著名な「石清水八幡宮」の三ヶ所だけだという事実があること。単なる地域の神社ではなく、国家レベルの重要な秘密を共有していた場所だと考えざるを得ない。
◾️卑弥呼、台与、そして阿波
神社の周辺には弥生時代の集落遺跡が広がり、「銅鐸」や「朱(水銀朱)」を扱っていた形跡も見つかっている。前述した通り、「魏志倭人伝」には「邪馬台国には水銀朱が取れ、魔除けに使っていた」ことが明記されている。ここで浮上するのが、邪馬台国の女王・卑弥呼の跡を継いだ「台与(とよ)」の物語。なんと、台与の王位継承の微細なシーンが「神踊り」として残っている(徳島県無形民俗文化財に指定)。「台与の都はここだったのではないか?」といわれるほど、この地は古代において特別な意味を持っていた。しかし、これほど重要な場所なのに、なぜ歴史の表舞台から消えてしまったのか。そこには、戦国時代、長宗我部元親が徳島の神社を片っ端から焼きまくったり、明治の悪法「神社合祀令」により、神社20万社のうち7万社が消えたとされ、多くの文献や伝承が失われてしまったのだ。
◾️封印された「8つの葛」
この神社にはワクワクするような未解決ミステリーが残っている。それが、本殿内部から見つかったという「8つの葛」である。中には解読不可能な古代の古文書が入っていると言われているが、今もなお慎重に扱われ、その全貌はオープンにされていない。「開けてはいけない」のか、それとも「まだその時ではない」のか。もしその中の文字が解読され、アーカイブされれば、僕たちが教科書で習ってきた「日本誕生の歴史」がガラリと書き換わってしまうかもしれない。徳島県文書館の皆さん、これを読んだら、是非調査して下さい。そして、オキタリュウイチをPRプロデューサーとして使って下さい(笑)。
▲宅宮神社。
▲ 神代文字。
▲天地開闢の神々。
【執筆/オキタリュウイチ】 [問い合わせ先]office@deepbranding.jp |
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百万平氏の説/宅宮神社「式内社」意富門麻比賣神社
宅宮神社は徳島県徳島市上八万町上中筋に鎮座する古社で、家宅や建築の守護神として知られます。延喜式神名帳に名方郡の式内社「意富門麻賣神社」として記され、日本で唯一、神世七代の五代目大苫辺尊を主祭神とする珍しい神社です。それだけでも大変興味深い神社ですが、さらに境内にはかつての樹齢千年超の巨木「夫婦杉」遺構や、はやり病を告げた「清めの岩」、ご神水「力の水」に「神代文字版字」など見所がありすぎる神社です。
その中で最も注目すべきは、千年以上の歴史がある徳島県無形民俗文化財「神踊り」です。その中の「出雲踊り」では、卑弥呼の後継者で13歳の壱与のことが歌われていると云われています。この場合の出雲とは恐らく、かつて阿波徳島の海岸部にあった「イの国の面(ツモ)」のことであり、壱与(台与)と同神とも云われる豊玉姫を思い浮かべます。
また、その名から壱与(イヨ)と伊予国との関係の深さに疑う余地はないのかもしれません。伊予国とは現在の愛媛県。社名となっている宅宮(えのみや)の本当の意味が、「愛宮(えのみや)」だったら面白いのになあ…と思っています。いずれにせよ、徳島県での神社巡りには欠かせない超重要な神社であることは間違いないでしょう。
ちなみに、境内社の「朝宮神社」ですが、ここから徒歩圏内にも朝宮神社が鎮座しており、「麻の葉紋」がありました。元は「朝」ではなく「麻」なのかもしれません。地名は上八万町広田。そういえば、兵庫県の廣田神社の祭神は天照大神荒魂です。さらに、お隣の佐那河内村にも「朝宮神社」があります。宅宮神社周辺には昔、豊玉姫の墓陵あったという伝承も聞いたことがあります。深掘りすればどことどこが紐付くか検討もつかない楽しい神社さんでした。
▲宅宮神社。
【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】 沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。 [問い合わせ先]なし |
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シン・きーちゃん氏の説/宅宮神社『式内社』意富門麻比賣神社
お元気様です🫡突然ですが、「意富門麻比賣(おおとまひめ)」って神様、聞いたことありますか?たぶんほとんどの人が「……誰?」ってなると思います(笑)。
でもこの神様、『古事記』でいうと**イザナギ・イザナミよりさらに前**に登場する、神世七代の女神なんです。日本神話の中でもかなり古い層に属する存在。
そしてその神様が、徳島市上八万町の**宅宮神社**に祀られています。しかも平安時代の『延喜式』に「阿波国の式内社」として正式に記録されている、れっきとした古社なんです。
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ここで一つ、きーちゃんが気になること。この意富門麻比賣って神様、神話の中でほぼ**活躍シーンがない**んですよね。アマテラスみたいなドラマもない、スサノオみたいな武勇伝もない。ただそこにいた、みたいな神様で。なのに阿波では式内社として、ちゃんと祀られている。
これって不思議じゃないですか?きーちゃんはここに、すごく大事なことが隠れてると思っていて——。
**物語に登場しない神様をわざわざ祀るということは、その神が実際に阿波にいたからじゃないのかな**、と。
神話の超古層に属する女神が、阿波の地に式内社として今も息づいている。これってそのまま、日本神話の原点が阿波にあった証拠のように見えてきませんか?
ちなみにこの神社、**「神踊り」**が今も徳島県の無形民俗文化財として続いています。古代の神を祀る祭りが現代まで生きてるって、すごくないですか。
阿波、やっぱり只者じゃないですよ。
一緒に歴史沼にハマりましょう!
▲宅宮神社。
【執筆/きー(Key)】 [問い合わせ先]history.key21@gmail.com |
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ヤマモトタケルノミコト氏の説/宅宮神社は阿波の古代の聖地
『伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ』
この歌は、宅宮神社の神踊りの『出雲踊』の一節であり、いわば『魏志倭人伝』に載っている、卑弥呼の後継者と言われる宗女壹與(壱与)のことを指すものとして、邪馬台国論争で度々話題になっています。まず徳島の宅宮神社のエピソードとして多くの方に知ってもらいたいですね。
神踊り:平安時代末期から途絶えることなく続いてきたと言われている、五穀豊穣・悪病退散を祈願して、現在も毎年8月15日に氏子が組ごとに輪番となって神踊り奉納が行われている。境内の中央に神籬(ひもろぎ)等を立て、その下に2~4人の子どもが向い合って太鼓を打ち、踊り子はその周囲を囲んで円陣を作って踊ります。12種類の踊り歌があり、「御神踊・出雲踊・伯母御踊・住吉踊・駿河踊・汐汲踊・博多踊・つばくろ踊・赤黄踊・鐘巻踊・忍び踊・清水踊」が伝えられています。またこの神踊りは、徳島県指定無形民俗文化財に、また徳島市の重要文化財習俗技芸に指定されています。
『延喜式神名帳』 阿波国 名方郡「意富門麻比賣神社」に比定される式内社
御祭神は大苫邊尊。『古事記』にある神世七代の五代目の兄妹神の妹神・女神です。ちなみに、国を生んだ、伊弉諾尊・伊弉冉尊は七代目なので、それよりも2代前の神様ということになります。これは驚愕の凄い話で、これももっと多くの方に知ってもらいたいです。また式内社で「大苫邊尊」を祀るのは日本でも宅宮神社が唯一です。一説では、「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味すると言われ、昔は「大きな港」があったことが発掘調査で証明されており、近くの大木がその名残だそうです。また天正年間(1573年ー1593年)の長宗我部元親による阿波国侵攻の際に、兵火により社殿が焼失し、その後、神林地としての現在地に社殿が再建され、その時より宅宮大明神として奉斎され、日本唯一の家宅の守護神になったとも言われています。
また神代文字の版木が残されています。(別名:阿波文字と呼ばれる場合もあるとか)これが何を意味するのか。本当に古い時代から崇敬を集めた、人々の祈りが積み重なり繋がれて大事にされてきた阿波の聖地と言える場所ですね。是非皆さんも一度訪れてみてください。
▲神踊り。
【執筆/ヤマモトタケルノミコト】 [問い合わせ先]heartfull80@gmail.com |
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藤井榮氏の説/神世七代(かみよななよ)五代「大斗乃辨(おほとのべ)神」
●(アレ:阿礼)「ツクヨミ(月読)命」様のことはもう分かったんじゃろう?ウズメや。 ◎(ウズメ:宇受売)ええ、おじ様。それは分かったんですけど‥‥。 ●(アレ)じゃあ何をいつまで “ふることぶみ(古事記)” とにらめっこしとるんじゃ。 ◎(ウズメ)おじ様に言われて“ふることぶみ”を初めから読み始めたんだけど、たちまち分からないことだらけなの‥‥「別天つ神(ことあまつかみ)五柱」に「神世七代」ですって!? ●(アレ)ホウホウ、それで何じゃ? ◎(ウズメ)それにね、「別天つ神五柱」の最初の三柱「アメノミナカヌシ(天之御中主)神」様、「タカミムスヒ(高御産巣日)神」様、「カミムスヒ(神産巣日)神」様、この三柱の神様って「造化の三神」と呼ぶらしいんだけど‥‥。 ●(アレ)フムフム ◎(ウズメ)五柱の神様はみな独り神で誕生するけど姿を現さないままなんですって。 「アメノミナカヌシ神」様から始まって独り神が次々と誕生しては隠れ、誕生しては隠れするんだけど‥‥どういうことなのかしらねえ、おじ様。 ●(アレ)そうじゃのう。 ◎(ウズメ)でね、「別天つ神五柱」の次の「神世七代」の初めの二柱「クニノトコタチ(国之常立)神」様、「トヨクモノ(豊雲野)神」様も独り神で姿を現さないのよね。 ●(アレ)だから何じゃ。 ◎(ウズメ)この前遊びに来たお友達のイシコリドメ(石斯許理度売)ちゃんにも訊かれたの。「神世七代の三代目からやっと一対の神様(夫婦神)になるんだけど、なんで三代目からなのかしら。独り神と夫婦神の違いって何なの?」 ●(アレ)そこに気付いたんじゃったらもう答えは出とるじゃないか、ウズメ。 ◎(ウズメ)ウ~ン?。 ●(アレ)そこまで考えとるんじゃったら大きな示唆をやるわい。 ◎(ウズメ)ナニナニ、ナ~ニおじ様。 ●(アレ)ウズメや、頭(の中)をズ~ッと、ズ~ッとむか~し、昔、おおむかしへ持って行ってみることじゃ。どうじゃ何か感じんか? ◎(ウズメ)それは‥‥この世の初め?かしら。で、また戻ってくると‥‥!? ひょっとしておじ様! ●そうじゃよ、ウズメ!わしら倭(ヤマト)の誕生・生成過程を現してるんじゃて。 ◎ワア~ッ、スゴいことだわコレって、おじ様!イシコリドメちゃんにもこのこと早く知らせなきゃ!お留守お願いしますね! ●よっぽど嬉しいんじゃのう分かったことが。もうおらんわい。 さて、ヤスマロ(安万侶)の文(ふみ)でも読んでみるかのう。
◆【以下、安万侶の文】アレ様の諳んじられたよろずの本辭(ほんじ)※1」を整理して“ふることぶみ”に記(しる)したのです。 さるお方の指令でこのイザナキ・イザナミまでの冒頭部分も修正を余儀なくされましたが。‥‥ ◆天と地とが初めて開けた時に高天原(たかまのはら)に成った神の名は、 ①天の中央にあって天地を主宰する「アメノミナカヌシ(天之御中主)神」、 ②次に、万物を生成する霊力をもった「タカミムスヒ(高御産巣日)神」、 ③次に、同じ霊力をもった「カミムスヒ(神産巣日)神」 ◆④続いて、国土がまだ形を整えておらず水に浮かんでいる脂のようで海月(くらげ)のようにふわふわと漂っていたとき春の光さす水辺の葦がすくすくと芽を吹くように、混沌の中からきざし伸びるように成った「ウマシアシカビヒコヂ(宇摩志阿斯訶備比古遅)神」 ◆⑤次に、天が恒久に定まることとなった「アメノトコタチ(天之常立)神」
◆この別天つ神五柱に続いて成った神は、①国土が永久に存立することとなった「クニノトコタチ(国之常立)神」 ◆②次に、天地の間に漂う雲のような状態が生じて誕生した「トヨクモノ(豊雲野)神」 ◆③次に、泥土や砂土の生成により誕生した「ウヒヂニ(宇比地邇)神」と女神「スヒヂニ(須比智邇)神」 ◆④次に、その泥土の中に胎動する生命が地表に生き生きと形を現して誕生した「ツノグヒ(角杙)神」と女神「イクグヒ(活杙)神」 ◆⑤次に、形を現してきたものの中から万物が生まれ出てくる扉(とびら)とも例えられる「オホトノヂ(意富斗能地)神」と女神「オホトノベ(大斗乃弁)神」 ◆⑥次に、地表に万物が根付き、国土も人間もだんだんと整ってきたことを表す「オモダル(於母陀流)神」と、これら生成に喜びながらかしこまる女神「アヤカシコネ(阿夜訶志古泥)神」 ◆⑦次に、お互い完全に身体が整って向き合い、国土(くに)生みをしようと誘い合う「イザナキ(伊邪那岐)神」と女神「イザナミ(伊邪那美)神」、これらの神々がこうして次々と誕生したのです。
◆【後日送られてきた再びの文】アレ様の所へ遊びに行ったイシコリドメさんの疑問、「なぜ神世七代の三代目からようやく一対の神様(夫婦神)になるのか、独り神と夫婦神の違いとは何なのか」という点ですが、聞かせていただいたアレ様とウズメさんのやり取りでお分かりいただけるように、高天原の初めに成った別天つ神(五柱)の神々は「身を隠したまひき。」と記されているとおり、私達人間がまだ感知できない状態を示しています。 ◆また神世七代のうちの初めの二柱の神々もまだ私達が感知できない状態であったのですが、三代目からようやく私達が感知することが出来る神様となり、また一対となって次第に国生み神イザナキ・イザナミ夫婦神に繋がり近づいてくることを示しています。 ◆ウズメさんに教えられたイシコリドメさんが私の所へ興奮の面持ちでやって来たことを申し添えます。
◆古事記に記された別天つ神五柱・神世七代の神々の中で全国で唯一阿波で祀られている神があります。神世七代五代目の女神「オホトノベの神」で、徳島市上八万町に「意冨門麻比売(おほとまひめ)神社」(現、「宅宮神社」)として鎮座する延喜式内社で祀られています。 ◆現在地から少し南に「大門(だいもん:おおと?)」との地名が残る弥生時代から古墳時代前期の各種遺跡のある辺りの元鎮座地から戦国時代の戦禍を経て現在の神林地(地中に宿るエネルギー(気)が湧き出る地)に再建されました。神社近くには旧地名「御所之内」もあって鎮座地の奥深い歴史を感じさせます。 ◆ご祭神の「大苫邊(おおとまべ)の尊」が“家宅祖神※2”であることから「宅宮(えのみや)神社」と改称され、地元の人々に尊崇の念をもって崇められてきた正しく悠久の歴史を有する神社です。 ◆当社には“神代(しんだい)文字”による祓詞の古版木が残り、また平安時代から今日まで絶えることなく毎年8月15日に奉納される特殊神事の“神踊り”が伝えられており、平成22年「徳島県無形民俗文化財」に指定されています。 踊りは昔のままの古式豊かで純朴さのにじみ出た特色あるものですが、十二種類ある踊りのうちの一つ「伊豆毛(いずも)踊り※3」は邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「臺與(とよ)」を歌ったものとも伝えられています。
◆このように邪馬台国を彷彿とさせる伝統芸能文化の伝承を見るにつけ、改めて思い知らされるのです。 ◆古事記冒頭「天地初めて發けし時、高天原に成れる神‥‥」が「アメノミナカヌシの神」(三好市「箸蔵寺※4」)であり、この神を中心に別天つ神五柱が旧三好郡鎮座の神社で祀られ、神世七代になると神々が剣山系を中心に東方向へと連なるように祀られているのです。 ◆具体的には、「東宮神社」(クニノトコタチ:神山町上分殿宮)、「十二社神社」(クニノトtコタチ・トヨクモノ・ウヒヂニ・オホトノヂ・オモダル:同下分地中)、「妙見神社」(トヨクモノ:同神領)、そして今回のテーマ主役女神オホトノベの神が祀られる「意冨門麻比売神社」(徳島市上八万町上中筋)
◆いかがでしょうか。古事記が阿波一国の物語であることは冒頭「別天つ神五柱」・「神世七代」の神々の鎮座地を見るだけでも明らかなのです。
※1 神話・伝説・歌謡物語など、伝承された物語を内容とする記録。神話的な伝承。
※2 家を守り家族を守る神様、ものをつくり成し、固め成す神様。
※3 『 〽 いずもの国の伯母御の宗女 今年十三ならしましょ 小口は一じとおたしなむ 小口は一じとおたしなむ いずもの踊りは ー踊りやー ‥‥』。
※4 小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』157~161頁参照。
【参照リンク】
① YouTubeチャンネル古代史塾 「イザナキ・イザナミの先祖を祀る、日本唯一の神社」、同「高天原は実在した?神話の“天の国”を徹底解説(古代史解説第19回)」
② 小著『古代史入門』59頁・同『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』157~161頁(Amazon電子書籍・印刷本)
▲宅宮神社の神踊り(伊豆毛踊り)~ 卑弥呼の宗女「臺與(とよ)」を歌う ~。
【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】 [問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp |
藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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山内雄二氏の説/宅宮神社(式内・意富門麻比賣神社)の御祭神について
式内小社である意富門麻比売(おおとまひめ)神社については、殆どの式内社考証本が徳島市上八万町の宅宮(えのみや)神社をその比定地としている。同社は、戦国時代に兵火の被害を被り麓の現在地に移遷するまで意富門麻比売神社と称していたが、江戸時代に入ってから宅宮大明神と改称したと伝えられる。祭神は神名から「意富門麻比売」であるが、この名称と完全に一致する神名は『記紀』には登場しない。
本稿では、当社の祭神について、まず殆ど異論のない通説を述べ、その後、それに対してあまり知られていない異説に焦点を当てて述べることにする。
『古事記』によれば、神世七代における第五代目の男神「意富斗能地(おおとのじ)神」に相対する女神として「大斗乃弁(おおとのべ)神」が記されている。この女神を「意富門麻比売」と同一視するのが通説である。また『日本書紀』では、同様に神世七代の第五代目の女神として「大苫辺(おおとまべ)尊」が記され、その別名として「大戸摩姫(おおとまひめ)」が挙げられている。これは「意富門麻比賣」と同じ読みである。『徳島県神社誌』では祭神を「大苫辺尊」と記すが、これは『日本書紀』の記述に基づくものであり、社名の「意富門麻比売」と同神とされている。なお、神世七代すなわち伊耶那岐命・伊邪那美命以前の神を祀る式内社は極めて稀であり、意富門麻比売(大苫辺尊)を祭神とする式内社は、全国で当社のみである。
祭神については、文化12年(1815年)に『阿波国式社略考』を著した永井精古の説がある。永井は「天神七代のうち伊耶那岐命・伊耶那美命以前の神を祀る神社は知らない」と述べたうえで、大苫辺尊(意富門麻比賣)を『古事記』に登場する山の神・大山津見神と鹿屋野比売の娘である「大戸惑女(おおとまひめ)」に比定している。そして、当社は佐那河内村の山の口を守る山の女神を祀るものであると論じている。
また、明治2年、小杉榲邨を中心に阿波国風土記編輯御用掛によって『阿波国続風土記』の編纂が進められた。しかし、明治4年の廃藩置県に伴い翌年に編集が中止となり、阿波郡と麻植郡以外の各郡は未完のままに終った。未完成部分は覚書の状態で残され、『阿波国風土記編輯雑纂』として筑波大学に所蔵されていたが、平成22年(2010年)に『ぐーたら気延日記』氏の尽力により、ブログでネット上に公開された。同資料によると、式内・意富門麻比賣神社については、上八万村の宅宮神社とする説があるとしながらも、神山町神領村の大粟山に鎮座する上一宮大粟神社を比定社としている。その理由として、「祭神の意富門麻比売(おおとまひめ)は、『古事記』による第10代崇神天皇の妃である「意富阿麻比売(おおあまひめ)」のこととして考えるべし。」と記載されている。
式内社である意富門麻比売神社は、神世七代の大苫辺尊を祀る宅宮神社に比定して間違いないと考えられるが、前述した二つの異説も興味深い。特に『阿波国続風土記』の説は、比定社を上一宮大粟神社としたことはさておき、祭神を「意富阿麻比売」とする点が興味を引く。『日本書紀』ではこの名は「大海媛(おおあまひめ)」と表記されており、その名前から海人族の姫であった可能性が伺える。海人族との関連として、宅宮神社の東に位置する「大木」という地名は、古代は入江に面した大きな港を意味する「大岐」であったと云われている。さらに、私は、卑弥呼を第10代崇神天皇の実母「伊迦賀色許売(いかがしこめ)」とする説を採っているため、妃「意富阿麻比売」が、次項で述べる卑弥呼の宗女・壹與(いよ)あるいは臺與(とよ)と時代的に符合する点にも大いに注目している。
宅宮神社の「神踊」の歌詞については、檜瑛司・著の『徳島県民俗芸能誌』(2004年)によると、第二番「出雲踊」に「出雲の国の伯母御の惣領、今年十三ならせます、こぐちを一字とおたしなむ...」と記載されている。阿波説の中には、「出雲」を「伊津毛=阿波国の平野部」、「惣領」を「宗女」、「一字」を「壱与=壹與)」と解し、この歌詞部分を魏志倭人伝に見える「卑弥呼の宗女壹與、年十三なるものを立てて王と為す」を謳ったものとしている。宅宮神社の神踊りは、平安時代から何百年も口伝によって継承されてきたものであり、その過程で発音や当て字が変化した可能性もあるため、歌詞の真偽については不明である。しかし、もし祭神の意富門麻比売が意富阿麻比売と同一と仮定するならば、意富阿麻比売と壹與の両者は同時代に位置づけられるので、なぜ宅宮神社の神踊りに壹與が登場するのかという「謎」が解けたことになるのではないかと、私は考えている。
▲宅宮神社。
【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】 [問い合わせ先]090-1136-7625 |
ANYA氏の説/宅宮神社
ここには「イズモ踊り」の伝承が有りますが、このことは他の論者の方が語られると思いますので、私は他の話を致します。宅宮神社は、800年代後半の歴史を記した「三代寛録」に、「意冨門麻比売神社」という社名で874年に従五位下を授与された延喜式内社です。現在は上八万、園瀬川の南部にひっそりと佇む当社ですが、その昔は500mほど南部にある瀧宮天王神社の在る丘あたりまでの広大な敷地を有していた、あるいはその丘に鎮座していたと伝えられています。
そして、天正年間の長曾我部の阿波占領事に焼き討ちにあい、現在地に宅宮神社として再建されたそうです。この神社は、神代七代のイザナギ・イザナミの2代前である、神代五代の大苫邊尊・意冨門麻比売を式内社で唯一祀る神社で有る事から、我が国でも最古級に古い神社であることがわかります。
それは、宅宮神社に古くから伝わる漢字伝来以前の文字とされる「神代文字」で刻まれた版木が伝わっている事からもわかります。元々「意冨門麻比売神社」として在った丘は、山頂部が古墳とも言われており、昭和59年にこの丘の麓から古墳時代前期の箱型石棺が出土しています。またこの周辺は、樋口遺跡と呼ばれ、弥生時代の住居跡や古式土器なども多数発見されています。さらにこの近くからは巽山古墳、樋口古墳群もあり、南東部の星河内美田遺跡からは銅鐸七個も出土しています。
これらが示すことは、古代においてこの辺りが、園瀬川の津(港)であり、都であった事の証だと考えられます。また、宅宮神社には、「はやり病」の国難が起こる時にお告げが有るという、言い伝えがあり、平安時代と江戸時代にその警告が有ったと言われています。そして昨今にもそのお告げがあり、その痕跡は神社の鳥居をくぐった右側のしめ縄が掛かる大岩に刻まれています。そうです・・2019年のコロナ前、この大岩が割れました。
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中年タケシ氏の説/忘れられた「大いなる門」――星河内美田銅鐸と宅宮神社の静かなる連なり
こんにちは中年タケシです。徳島市上八万町。園瀬川がゆったりと平野へ流れ出すこの地には、「阿波の原層」が眠っています。その核心に鎮座するのが、式内社・意富門麻比賣神社(おおとまのべひめじんじゃ)、通称「宅宮(えのみや)神社」です。
この神社の存在は、知れば知るほど異質です。主祭神の大苫辺尊(おおとまのべのみこと)は、日本神話の「神世七代」の五代目に位置する女神。あのイザナギ・イザナミよりも二世代も古い。驚くべきは、平安時代の「延喜式」神名帳において、この根源的な女神を単独で主祭神として祀る神社は、全国でここ一社しか存在しないという事実になります。
なぜ、この地にそれほどまでに古く、孤高な神が祀られたのか。そのヒントは、昭和七年にすぐ近くの星河内美田遺跡から出土した「星河内美田銅鐸」だと考えます。出土したのは、弥生時代中期の「扁平鈕式(へんぺいじゅうしき)」と呼ばれる古い形式の銅鐸群です。少なくとも七個体以上の銅鐸が、まるで意思を持つかのように整然と埋納されていました。この時期の銅鐸は、後の「見る銅鐸」とは異なり、内側に舌(ぜつ)を吊るして音を鳴らす「聞く銅鐸」です。
弥生の人々が、星河内の山腹で銅鐸を打ち鳴らし、大気にその音を震わせたとき、彼らは一体何を呼ぼうとしたのか。それは大苫辺尊の「トマ(門・戸)」という名にその答えを見たい。古代において「門」とは、単なる出入り口ではない。それは聖と俗、現世と異界を分かつ「境界」そのものである。園瀬川がかつて大きな港であった時代、この地は海から来る未知の災厄を防ぎ、あるいは神聖なる山々への入り口を守る文字通りの「門」であった。銅鐸の音は、その境界を清めるバリアであった。そして銅鐸の祭祀が形を変え、社(やしろ)へと結晶したのが、この意富門麻比賣神社なのではないか。境内に伝わる「神代文字の版木」や、徳島市指定重要文化財である「神踊」は、この地が単なる一集落の氏神ではなく、特殊な知識や技術を持った祭祀集団の拠点であったことを無言で伝えています。
「徳島で一番古い」という噂の神社。それは、銅鐸の音が響いていた時代から、絶えることなくこの「門」を守り続けてきた人々の、揺るぎない確信が形を変えたものなのだろう。今も宅宮神社の境内に立つと、かつての港から吹き上げる風と共に、微かに青銅の鈴の音が聞こえてくるような気がしてならない。それは妄想かもしれないが、阿波の土底に眠る大きな歴史の鼓動であることも、また確かなのです。
▲宅宮神社。
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【シーズン2】4話目【完】。
次回は・・・
黄泉の道は阿波だった
記事公開日は2026年6月1日(月)。乞うご期待










