歴史・文化
2026/06/01 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
シーズン2からニューカマーの執筆者も3名加わり、新たな視点・論説を繰り広げてくれることに期待してます(シーズン1から引き続き執筆していただける5名の皆様にも多謝致します)。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。

この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな
無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。

※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、
本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。



邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】5話目/黄泉の道は阿波だった


【通説】

島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂

『古事記』によれば、イザナミは火の神(カグツチ)を生んで亡くなり、比婆山に葬られた。イザナギはイザナミに会いたいと思い、黄泉国に追いかけていった。イザナミはイザナギに対して、既に黄泉戸喫(ヨモツヘクビ。黄泉国のかまどで作られた食事のことで、これを食べると黄泉国から帰れなくなると信じられた)を食べてしまったが、イザナギが来てくださっているので還ろうと思うが、黄泉神と話し合いたいので、しばらく私を見ないでくださいと言ったが、イザナギは長く待たされたため火を灯して中を見たところ、イザナミは変わり果てた姿となって全身から雷を生じており、これを恐れたイザナギは逃げ出した。

イザナミは「私に恥をかかせた」と激怒し、予母都志許売(ヨモツシコメ)にイザナギの後を追わせた。イザナギはヨモツシコメに黒御蔓(クロミカズラ、髪飾り)や湯津津間櫛(この櫛は投げるとタケノコとなったという)を投げつけて足止めした。さらに千五百の黄泉軍が追手に加わったが、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)の坂本に至るとイザナギはそこにあった桃の実を投げつけて追い払い、桃に葦原中国にいる青人草が苦しんでいるときは助けるように告げて意富加牟豆美命(オオカムツミ)の名を与えた。

最後はイザナミ自身が追ってきたため、イザナギは千引の石(千人もの大勢を動員して引くほどの石)を黄泉比良坂に引いて塞いだ。イザナミは逃げ帰るイザナギに対し、「1日に1000人殺す」と脅した一方、イザナギは「1日に1500の産屋を建てる」(1500人新しく生まれさせる)と応酬した。これによりイザナミは黄泉津大神と呼ばれることとなる。

『古事記』では黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)について「出雲国之伊賦夜坂也」としており、島根県松江市東出雲町揖屋には黄泉比良坂の伝承地がある。『古事記』には黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)が2カ所に登場し、一つは上述のイザナギとイザナミのシーン、もう一つは、オオクニヌシが妻のスセリビメとともにスサノオから与えられた試練を克服して根の国から脱出するシーンである。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂。




百万平氏の説/黄泉の道は阿波だった


私が阿波徳島が日本神話の舞台だと信じるようになったのは、「黄泉の国の舞台が阿波だった」という説を知ったのがきっかけでした。定説では出雲から日向への物語ですが、もし神話に実話の素地があるなら、島根から宮崎まで徒歩で逃げるような距離は非現実的です。そんなイザナギの逃走ルートが、阿波国内だけで完結すると聞いて、とても感動しました。

徳島県美馬市には、イザナミをはじめ、波邇夜須毘売神や彌都波能売神の名を冠する延喜式内社が鎮座しています。伊射奈美神社の元宮とされる神陵は高越山山頂にあるとされ、その古称「木綿麻(いふま)山」は、黄泉の国との坂「伊賦夜坂(いふやざか)」と結びつきます。このあたりの地名や神社は、イザナギの逃走ルートと驚くほどよく重なります。

「雄中面(オナカヅラ)」「生実(いくみ)」「喰田(しょくた)」といった上勝町の地名や、那賀町の「竹ケ谷」「旧八面(やつら)神社」、「ヨミ坂(四方見坂)」「ユヤノ坂」「湯谷神社」「千引の岩」「坂本」など、それぞれが古事記の場面と対応していると見なすことができます。以前、阿波古事記研究会の三村先生からご教示頂いたこのルート説は、黄泉の国を「阿波」へと結びつける非常に説得力のある構成になっていると感じます。

さらに、禊の地『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原』を阿南市の橘とする比定も、この地名連続性と合致して、この説の説得力を高めています。最後に、イサナミとイサナキを逆に読むと「見なさい」「来なさい」になり、物語の逆転性を象徴的に感じさせる言葉遊びになるんですよ。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲漫画『籠の中の卑弥呼』より。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲ユヤの坂バス停。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】

沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。

[問い合わせ先なし


百万平氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・

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シン・きーちゃん氏の説/黄泉の道は阿波だった


お元気様です🫡
いきなりですが、古事記で一番ホラーな場面ってどこだと思います?個人的には断然、イザナギの「黄泉下り(よみくだり)」。亡くなった妻イザナミに会いたくて、あの世まで追いかけちゃうんですよ、この人。ところが妻の姿を見てビックリ仰天、全速力で逃げ帰る。そこに追いかけてくる黄泉の鬼婆たち——。そんなピンチでイザナギが最後に投げつけたのが、桃。え、桃?!そう、桃。たった3個で鬼婆を全員撃退しちゃうんです。これ、ふざけてるわけじゃなくて、桃は古代から「犗れを祛う聖なる果物」。ちゃんとした呪具だったんですね。

さて、この黄泉の入口「黄泉比良坂(よもつひらさか)」。古事記には「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)」って書いてあって、定説は島根県松江市です。でもね、ここだけの話——。阿波にもあるんですよ、黄泉比良坂が。徳島県那賀郡那賀町馬路の「四方見坂」。地元では昔から「ヨミザカ」って呼ばれてて、すぐ近くには「ユヤの坂」(伊賦夜坂に音、似てません?!)、さらに千引岩と言われる巨岩まで揃ってる。ちょっと揃いすぎじゃないですか?

でも、本当にヤバいのはここから。お隣の阪南市にある若杉山遺跡。ここ、3世紀頃に「丹(に)」=水銀朱を掘っていたことが証明された、日本で唯一の遺跡なんです。2019年には国の史跡にも指定されました。で、この「丹」が何者かっていうと——。邪気を払い、死体の腐敗を防ぐ、古代最強の「境界素材」。古墳の石室や遺体に塗られた、まさに「あの世と繋がる赤」。つまりここ、3世紀の時点で「死と再生のプロ集団」がいた土地なんですよ。

ここからは私の妄想ですが——。桃と丹、めちゃくちゃ似てません? どっちも「邪を払う」。どっちも「死の犗れを遠ざける」。もしかして古事記の作者、「イザナミを丹で弔った」っていう阿波の古い記憶を、神話にするときに桃っていう象徴に置き換えたんじゃないか——。そう考えると、ヨミザカも千引岩も若杉山遺跡も、ぜんぶ一本の線でつながるんですよ。鳥背、立ちません?

黄泉の道は、島根だけじゃない。阿波にはちゃんと、あの世と現世を分ける坂と、死を清める赤い石が眠ってる。さあ、一緒に歴史沼にハマりましょう!

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲黄泉の道は阿波だった。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/きー(Key)】
お元気様です🫡 日本神話と日本古代史のロマンに、気づけば毎日どっぷり沼っている きー(Key)です。阿波(徳島)を拠点に、文献(古事記・日本書紀など)と現地(神社・地名・遺跡)の両方から、あれこれ想像して深掘りするのが好き。YouTube「シン・きー歴史沼チャンネル」発信に加え、ツアー企画/現地ロケ/ライブ配信/講演もしています。一緒に歴史沼にハマりましょう!🗝️

[問い合わせ先]history.key21@gmail.com


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ヤマモトタケルノミコト氏の説/黄泉の道と阿波の道


実は私が黄泉の道について詳しく知ったのは、阿波古事記研究会の三村先生の話を聞いた時で、強烈なインパクトを受けたのを覚えています(笑)。簡単にまとめてみますと、『古事記』には、伊邪奈美命は「出雲国と伯伎国との堺の比婆山に葬りき」と記されており、これを阿波に当てはめると、その比婆山は徳島県山川町の高越山と考えられ、江戸時代の史書にも「伊射奈美神社は美馬郡拝村山頂にあり」と。高越山が古くから聖地として崇められてきたことが分かります。役行者や弘法大師も修行した霊山であり、山頂奥の院の祠の下に伊邪奈美命が葬られていると考えることは自然です。

ここから伊邪奈岐命は妻の亡骸を見て黄泉の軍団に追われて、逃走を始める物語で、阿波の地名と驚くほど一致しています。上勝町には「雄中面(おなかづら)」「生実(いくみ)」「喰田(くった)」があり、カズラを投げ実が生り、追手が食べるという展開と重なり、さらに那賀町竹ケ谷には竹の灯籠があり、櫛からタケノコが生えた場面に対応する。丹生谷地域には百合、桃の木坂、百付など桃に関する地名が集中し、神社には桃の木彫りや瓦が残る。辰砂の産地でもあるこの地では、桃と同様に霊力を持つ赤が重視されており、桃は辰砂を象徴するとも考えられます。また黄泉比良坂についても、那賀町には「ヨミ坂」「ユヤノ坂」が存在し、湯谷神社には「桃木尊」と刻まれている。これは古事記の「伊賦夜坂」に通じるものと思われます。さらに上勝町から那賀町にかけて、谷を塞ぐ巨大な岩があり、これが「千引の岩」にあたります。実際に現地の岩は規模も大きく、「坂本」の地名も残り、記述との一致が顕著ですね。このように伊邪奈美の埋葬地から黄泉比良坂、そして禊の地へと、カズラ、ヤマブドウ、竹、桃といった要素が順序よく並び、『古事記』の物語と符合します。こうした連続性を持って説明できる地域は阿波以外に見当たりません。

黄泉から逃れた伊邪奈岐命は「竺紫の日向の橘の小門の阿波伎原」で禊を行ったとされるが、これも九州ではなく阿波と解釈できますね。「竺紫」は九州の「筑紫」と書き分けられており、「日向」は東を意味する。すなわち「東の果て」を指し、古代における東端であった四国最東の阿南市橘湾周辺が該当し、見能林町付近はかつて海峡状で、「小門」という地形にも一致します。この地で禊が行われ、天照大御神・月読命・須佐之男命が誕生したとされることから、天照大神は高天原で生まれたのではなく、地上で誕生した存在であると解釈できます。このことからも、『古事記』の黄泉の国の物語は、阿波の地形・地名・信仰から、極めて高い確率で、その舞台が阿波であったと考えられています。いや言うなれば最早揃いすぎているのではないでしょうか(笑)。 

ここからは私の思うところを少しだけ。黄泉の神話「見るなのタブー」について。

似た話は、日本・世界の神話や昔話でも結構ありますね。鶴の恩返し、豊玉姫の出産時、浦島太郎の玉手箱・・・。ギリシャ神話:オルフェウスや、聖書ロトの奥さん、メデユーサになりますかね。人類で見るなと言われて見なかった人はいないですね。これはフラグでしょうか(笑)?伊邪那美の「見るなのタブー」を伊邪那岐が犯すことで、2人を引き裂き、別離させ、人間の生と死の起源を語るための物語ですね。伊邪那岐は「現世の人間を1日に1000人死なせると言ったのに対して伊邪那岐は「1日に1500人の産屋を建てよう」と。そこから人類は増えたのでしょうね。何か現代日本の少子化対策に何か生かせませんかね。現代の伊邪那岐様が登場して見るなのタブー以上の、予算と減税のタブー、「子ども一人に対して予算1000万円と税金免除」の実行を待つのは不謹慎でしょうか。

何はともあれ是非1度皆さん、徳島の黄泉ロードに足を運んでみませんか?

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲見るなのタブー。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/ヤマモトタケルノミコト】
阿波古代の素晴らしさを広く伝えるために日々走り回っている阿波古代伝道師。とくしまクチコミ大使!(徳島商工会議所)。邪馬台国は阿波だった!ラジオMC(エフエムびざん)。アワテラスラボ 理事長。阿波ヤマト財団事務局長。徳島県 観光審議員。徳島YEG:卑弥呼フェス開催。映画「少女H」撮影上映。徳島JC:映画「佳歩」撮影上映。口ずさめとくしまの歌!開催。

[問い合わせ先]heartfull80@gmail.com


ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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藤井榮氏の説/黄泉(よみ)國と根の堅州(ねのかたす)国


(テーマ「黄泉の道は阿波だった」の“黄泉”についての特定がなされていませんが、今までのテーマの推移から、古事記に記された伊邪那岐(いざなき)命が訪れた伊邪那美(いざなみ)命が死後に住む「黄泉国」であるということを前提としてお話します)。

◆古事記上つ巻に記された「黄泉」については、いわゆる阿波説でもいろいろな説明がされており、伊邪那岐命が「黄泉國」から逃げ帰る場面で出てくる「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を中心に地名「坂本」を徳島県内の地に求めてその後の物語の解釈をされている方々もいらっしゃいますので、私は全く別の観点から「黄泉」ということの意味を考えてみたいと思います。

◆「黄泉」なる文言は、「黄泉國」から逃げ帰る伊邪那岐命と追いかける伊邪那美命との間のやり取りの最後に『謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲國の伊賦夜(いふや)坂と謂ふ。』と記されて以降出てこなくなります。替わって出てくる文言が、伊邪那岐命の禊ぎ祓いで誕生した三貴子(さんきし)の一人須佐之男(すさのを)命が父伊邪那岐命に泣きつく時の「僕(あ)は妣(はは)の國 根の堅州國に罷(まか)らむと欲(おも)ふ。」です。

◆この記述からすると、「黄泉國」とは「根の堅州國」であるということですね。これは、須佐之男命の6代子孫である大国主(おほくにぬし)神(大穴牟遅(おほなむぢ)神)が、兄達八十(やそ)神の迫害から逃れるため大屋比古(おほやびこ)神の『須佐之男命の坐(ま)します根の堅州國に參向(まゐむか)ふべし。』との助言を得ることや、須佐之男命の所で娘(須勢理比売(すせりびめ))と結婚後、須佐之男命からの試練を経て比売と共に須佐之男命の住む「根の堅州國」から逃げ出したとき、須佐之男命が「黄泉比良坂」まで追いかけてくる記述によっても明らかです。

◆話が前後しますが、父伊邪那岐命から命ぜられた國を治めず怒りを買った須佐之男命は、母の国へ行く前に姉天照大神に事の次第を報告すべく天へ昇り、高天原で天照大神との誓(うけ)ひで勝ち誇って狼藉を働いた廉(かど)により八百萬の神々から追放されて「出雲國」へ降ります。 ◆そこで八俣(やまた)の大蛇(をろち)を退治して櫛名田比売(くしなだひめ)を娶(めと)り、「出雲國」の須賀の地に宮殿を建てて御子神達を生むことになります。

◆そうすると、大国主神が兄神達から逃れて行った須佐之男命のいる「根の堅州國」は、須佐之男命が櫛名田比売と住んでいる「出雲國」と同じであるということになります。つまり、「黄泉國」とは「根の堅州國」であり、また「出雲國」でもあるということになりますが、これは一体どういうことなのでしょうか。

◆さらに問題なのは、「葦原中国(あしはらのなかつくに)」平定のくだりの記述です。 ◆天照大御神の仰せで『豊葦原の千秋長五百秋(ちあきのながいほあき)の水穂(みずほ)國は、我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)命の知らす國ぞ。』とあるように、御子神天忍穂耳命に「葦原中國」を統治させるべくご指示をなさいました。 ◆ところが、「葦原中國」はひどく騒がしく、乱暴な振る舞いの国つ神が大勢いるため説き伏せるべく天菩比(あめのほひ)神、天若日子(あめのわかひこ)を順次遣わすも、両神とも大国主神に媚びついて失敗に終わり、第三の使者神建御雷之男(たけみかづちのを)神を大国主神の下に遣わしますが、國譲り交渉の舞台、つまり大国主神が居た所は「葦原中國」ではなく「出雲國」と記されており、しかも建御雷神と大国主神や事代主(ことしろぬし)神、建御名方(たけみなかた)神との國譲り交渉のやり取りでは、「出雲國」でありながら『この葦原中國』と言っているのです。

◆ということは、「葦原中国」もまた「出雲國」と同一であり、したがって「黄泉國」は「根の堅州國」であり、また「出雲國」でもあり、さらには「葦原中國」でもあるという奇妙なことになるわけです。 なぜこのような記述になっているのでしょうか。

◆この謎を解く鍵、文言は意外なところにあります。「須勢理比売の嫉妬」のくだりにある一文『出雲より倭(やまと)國に上りまさむとして‥‥』 ◆この「出雲より倭國に上り」という文言の意味するところは、諸学者の解釈では、おそらく令制国の「出雲」から「大和」への動きを指すものと解されるかと思いますが、私は、原古事記が改ざんされる際に須佐之男命の大蛇退治のくだり以降散見される「出雲」という文言が差し込まれたのではないかと見ております。 ◆本来「葦原中国」であるところを敢えて「出雲國」という文言を差し込んで本来の物語の意味を変えたのではないかと。 ◆つまり、本来「葦原中国」の物語を「出雲」という文言を差し込むことによって律令時代の令制国「出雲」(現、島根県東部)の物語にすり替えてしまったものと考えます。 ◆だからこそ、「大国主神の国譲り」のくだりで大国主神は、(現代語訳で記せば)『地底の岩盤に柱を太く立て、天空に千木を高く聳えさせてお造り下さるならば、私は多くの道の曲がり角を経て行く、遠い所に隠れておりましょう。』などという、“高天原”一族の「天つ神」から押さえつけられ平定されるような書きぶりになったものと言えます。 ◆このように、須佐之男命にはじまる大国主神、事代主神“葦原中国”一族「国つ神」は、死のイメージの「黄泉」に繋がる「根の堅州國」、「出雲國」を本貫地とする位置づけがなされ、一方“高天原”一族の「天つ神」は「葦原中国」を「倭国」として爾後治めていくことを示しているのです。

◆さて、「黄泉」が阿波であることは論を待たないのですが、では『謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲國の伊賦夜(いふや)坂と謂ふ。』とある「伊賦夜坂」が何処であるのかと言えば、古事記に『伊邪那美神は、出雲の國と伯伎(ははき)の國との境の比婆の山に葬りき。』とあることからして「木綿麻(いふま)山(高越山)」の坂のことです※1。 ◆今少し言えば、美馬市穴吹町口山の上流を端々山(ははやま)、穴吹川に接する地を端々岐(ははき)と称し、端々岐のふる川(現、吉野川)の対岸、倭岐(わき:現脇町)より下流を“以津毛”と称します※2。 ◆国生み大地母神の神陵“阿波富士”、高越山は今日もその偉容を倭の空に見ることが出来ます。

※1 岩利大閑著『道は阿波より始まる』(その三)94頁参照
※2 岩利大閑著『道は阿波より始まる』(その一)86頁参照                                                               

【参照】
①小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』115~122頁(Amazon電子書籍・印刷本)


邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲高越山(木綿麻(いふま)山):吉野川市山川町木綿麻山。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】
昭和24年美波町(旧日和佐町)生。平成22年徳島県庁退職。平成26年本格的に阿波古代史の勉強を開始、平成27年「邪馬台国阿波説入門講座」(現「阿波古代史講座」)を開講、令和4年2月古代史塾を起こしHPを開設してYouTube動画配信を開始、同年4月『古代史入門』、同6年2月『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をそれぞれAmazon電子書籍・印刷本出版、現在に至る。

[問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp


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山内雄二氏の説/木綿麻山を越えて、黄泉の国へ


『古事記』に登場する黄泉の国は、伊邪那美(いざなみ)命が火の神である迦具土(かぐつち)を生んだことが原因で命を落とし、葬られた死者の国を指すとされている。通説では、伊耶那美命は出雲国の比婆山(ひばやま)に葬られたと云われている。しかし、もし『古事記』の舞台が阿波であるなら、当然のことながら黄泉の国も阿波に存在するはずである。

延喜式神名帳において、全国で唯一伊耶那美命を祀る式内社は、その社名の通り阿波国美馬郡の「伊射奈美神社」である。式内・伊射奈美神社の論社は数社存在するものの、最も有力視されているのは、「高越山(こうつざん)」の山頂下に鎮座する「高越神社」である。ところが、令和元年(2019年)に徳島県神社庁が刊行した『改訂徳島県神社誌』では、高越神社の主祭神は天日鷲命とされ、伊邪那美命は数ある配神の一柱に位置づけられている。一方で、幕末の徳島藩の歴史書である『阿府志』をはじめ、多くの史料は「高越神社」を式内・伊射奈美神社に比定しており、県内の郷土史家の間でもこの見解を支持する声が多い。

「高越山」山頂は、伊邪那美命の殯(もがり)の地であり、伊耶那岐命が死に別れた恋しい妻を訪ねた黄泉国の入口に比定される。

昭和61年(1986年)に藤野真宥が高越寺から発行した『高越山』によれば、高越山は別名「木綿麻山(ゆうまやま)」とも呼ばれており、『改訂徳島県神社誌』にも高越神社の住所は「吉野川市山川町木綿麻山44」と記載されている。この木綿麻山を詠んだ歌は、「別れの歌」として『万葉集』に2首収められている。以下に、小島憲之ほかによる訳注を、昭和48年(1973年)小学館から発行された『日本古典文学全集・萬葉集(三)』から抜粋した。

万葉集 第12巻 3191
よしゑやし 恋ひじとすれど 木綿間山 越えにし君が 思ほゆらくに
原文:不欲恵八師 不恋登為杼 木綿間山 越去之公之 所念良国
(ええいもう 恋しがるまいと思うが 木綿間山を 越えて行った君が 思われることだ)」

万葉集 第14巻 3475
恋ひつつも 居らむとすれど 遊布麻山 隠れし君を 思ひかねつも
原文:古非都追母 乎良牟等須礼杼 遊布麻夜万 可久礼之伎美乎 於母比可祢都母
(恋い慕いながらも じっとしていようと思うが 木綿間山に 隠れた君を 思うとどうにもならない)

3191番歌は、「相聞(そうもん)・悲別歌31首」のうちの1首である。ここでは「木綿麻山」ではなく「木綿間山」と表記され一字違いであるが、同じ山のことである。木綿間山について、中西進・著の『萬葉集 全訳注・原文付』などの主要な注釈本や、佐佐木信綱・著の『萬葉辞典』などの複数の万葉集辞典を調べたが、全て「所在不明」と記されている。

3475番歌では、原文に「遊布麻夜万(ゆうまやま)」と記されているが、諸本はいずれもこれを3191番歌の「木綿間山」と同じ山として扱っており、同様に所在不明としている。ただし、この歌は「東歌(あづまうた)未勧国(東国ではあるが国不明)112首」に属する一首であるため、木綿間山は東国ではないかとする説も一部に存在する。
これら2首とも、通説では「木綿間山は所在不明だが、とにかく「木綿間山」という山が実際に存在し、その山を越えて旅立って行った妻か夫か恋人を思っている別離の歌である。」と、単純に解釈されている。

3191番歌は「木綿間山」という固有名詞を使用しているので、阿波国の木綿麻山(高越山)を望むことができる麻植郡か阿波郡辺りの住人が詠んだものである可能性が高い。当時から木綿麻山は黄泉の国の女王・伊邪那美命の殯(もがり)の場所と認識されており、そこを越えた先が黄泉の国であることを住民は知っていたと考えられる。一方、3475番歌では「遊布麻夜万(ゆうまやま)」と書かれているのは、東国の詠み手が阿波国の知合いから「木綿間山」の由来を聞いていたものの、正確な表記が分からず万葉仮名で表現したのかもしれない。これら2首は、『万葉集』の中でも殆ど知られておらず、特別に扱っている解説書も見当たらない。一般には、目立たない普通の「別れの歌」とみなされ、全く重要視されてこなかった。しかし、本来なら「相聞歌(互いの安否を問う歌)」ではなく「挽歌(死別の悲しみを詠む歌)」に分類されるべき歌である。これは、「木綿間山」の場所やこの山の持つ意味が、現代に正しく伝わっていないのが原因であろうと思われる。

これらの歌を単純な別離の歌として詠むのではなく、恋しい恋しい亡き妻・伊邪那美命に会いたい一心で木綿間山(高越山)を超え黄泉の国へ向かった伊耶那岐命の心情を、我が身に重ね合わせた詠み手の哀しい想いに寄り沿って詠むべきである。すなわち、これは旅立つ妻を見送る歌ではなく、黄泉の国へと越えていった愛しい妻を偲ぶ歌である。そう想うと、「木綿間山 越えにし君が..」、「遊布麻夜万 隠れし君が..」の帯びる意味が深く理解できるはずである。「ゆうまやま」の正体を知れば、本当に、時を超えて「胸が震える歌」なのである。
以上

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲高越神社。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】
昭和27年4月、鳴門市に誕生。小学校1年より徳島市南二軒屋町に居住。大学在学中は、山歩き、ジャズ鑑賞、読書が趣味。卒業後、神戸の会社に就職し神戸市垂水区に居住。65歳で職を辞し、徳島に帰還。「うちのかみさん」と国府町で二人暮らし。阿波説の魅力に取りつかれて20年。徳島歴史研究会で年一回、自説の阿波古代史を発表。今年で16回。国府町の「一般社団法人・大御和神社・崇敬会」の事務局を夫婦で運営。

[問い合わせ先]090-1136-7625








ANYA氏の説/黄泉の国は阿波に有ったで間違いないとは思うが・・・


「イザナギとイザナミは、淡路島や四国など、大八島と呼ばれる島を次々に産み出した」 というのが国産み神話です。こうして国の基礎ができあがると、次にイザナミは神々を産み始めます。しかし、石、土、海、風、山などの森羅万象の神を産む中で、火の神であるカグツチを産んだ際に、イザナミは火傷を負って命を落としてしまいます。イザナミは死者の国である「黄泉の国」に葬られますが、妻を諦められないイザナギは、彼女を連れ戻すために、再度「黄泉の国」へ向かい、イザナミに「一緒に帰ろう」と懇願します。イザナミは「黄泉の神に相談するので、その間は決して中を覗かないで」と伝えて奥へ消えました。あまりに待ち時間が長いため、イザナギは我慢できず中を覗いてしまいます。しかしそこに居たのは、腐敗した恐ろしい姿のイザナミでした。醜い姿を見られたイザナミは、恥をかかされたと激怒し、イザナギを追いかけてきます。

江戸時代の阿波の歴史書である「阿府志」には、吉野川市にそびえる、高越山の山頂奥院にイザナミの葬られた祠有り、と書かれています。高越山から直線距離で約50㎞、太平洋に開かれた橘湾が有ります。まさにここは、古事記に詠まれる「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」の橘です。イザナミから逃れたイザナギは、この橘湾で禊をし、アマテラス、ツキヨミ、スサノオなどの神々を生み出します。この高越山から橘湾までの道中には、禊神話に登場する千引岩や黄泉の国との境であるヨミ坂等の伝承地名がほぼ全て存在しており、神話の伝承や立地、地名等から考えると、高越山こそがイザナミの葬られた比婆山で、ここが黄泉の国で有るとは思われますが、しかしこの神話の流れは、世界に存在します。

古くは約4000年前のシュメール文明の(イナンナの冥界下り神話)、約26000年前の古代ギリシャの(オルフェウス神話)、そして記紀の(イザナギの禊神話)。他にも似た様な神話というものは、多く存在します。亡くなったオオゲツヒメから五穀が生まれる神話も、「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれ、世界にはオオゲツヒメとそっくりの神話も多く存在します。約3000年前の、インド最古の宗教文献(リグ・ヴェーダ)にはカースト制度の起源にもなった、プルシャの解体というオオゲツヒメとそっくりな話があり、18000年前の中国神話(盤古)にも、よく似た神話が存在します。

記紀が記されたのは、今から1300年前、これらの事を考えると、神話は東の大陸から阿波へともたらされたというのが、最も辻褄が合う説だと私は考えます。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/ANYA(アンヤ)】
人気の大阪在住の古代史YouTuber。書籍「決定版 阿波の古代史 邪馬台国は阿波だった」。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 阿波(徳島)から日本が始まった。日本の起源も邪馬台国も四国にあった。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 歴史から消されてきた阿波の古代史が明らかになる。ヤマト政権から天皇家の起源などに関して独自の見解を述べる。 

[問い合わせ先]anyautb@gmail.com


ANYA氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶ANYAチャンネル(YouTube)







中年タケシ氏の説/那賀町に刻まれた「大国主の試練」ルートを考察


こんにちは中年タケシです。古事記において、イザナギの黄泉の国脱出ルートが上勝町から那賀町にかけて地名として並んでいることは有名ですが、実は大国主のスサノオの試練エピソードも、那賀川流域の地名と深く重なると考察しています。

1. 大国主再生のエピソード
八上比売(ヤガミヒメ)と結ばれた大国主に対し、嫉妬に狂った兄神たちが罠を仕掛けます。「赤い猪を追い落とすから下で受け止めろ」と命じ、火で真っ赤に焼いた巨大な岩を山の上から転がしました。大国主はそれを猪だと思って受け止め、焼き殺されてしまいます。小松島市には「赤石町」(あかいし)の地名があります。一度目の復活後も兄神たちの攻撃は止みません。次に兄神たちは、大木に楔(くさび)を打ち込んで割れ目を作り、その中に大国主を無理やり入らせました。そして楔を引き抜いて大国主に挟み殺させました。小松島には「櫛渕町」(くしぶち)の地名がありますが、その地形は上空から見ると楔型になっています。

2. 運命の出会いと「蛇の室」
大国主は兄弟達から逃げると、スサノオの娘・スセリビメと出会い、恋に落ちます。那賀町にはその名も「日真出合(ひまであい)」という地名があり、物語の幕開けを予感させます。最初の試練「蛇の室」を彷彿とさせるのが、那賀町花瀬の「虻ヶ淵(あぶがふち)」です。かつては「蛇ヶ淵」であったとも推測され、南岸の岩穴には大蛇伝説が残ります。周辺には水害を鎮める龍王神社が多く、大国主がスセリビメから授かった「蛇の領巾(ひれ)」の呪力とも符合します。

3. 蜂とムカデの室
次なる「蜂とムカデの室」の試練。那賀町には「鉢(はち)」という地名があり、その周辺の「四百場(しひゃくば)」や「百合谷(もまえだに)」は、脚の多い「百足(ムカデ)」を暗示しているかのようです。特にムカデは鉱山の神の使いとされ、近隣には日本最古級の朱の原料「辰砂(しんしゃ)」の採掘遺跡・若杉山遺跡が存在します。

4. 鳴鏑(なりかぶら)の矢と火の試練
スサノオが野原に放った矢を探す試練。那賀町「音谷(おんだに)」は「音の矢」に通じ、そこには「焼野平(やけのひら)」という火攻めを思わせる地名も残ります。大国主がネズミの助けで隠れた場所は、音谷の東にある「かくれごや」の地名が重なります。

5. 聖(ひじり)神社と逃走
スサノオの別名「牛頭天王」を彷彿とさせる「聖(牛王)神社」がこの地域には集中しています。拝宮の聖神社には、大国主がスサノオの髪を縛り付けた「五百引(ちびき)の石」を思わせる巨石が鎮座します。大国主がスセリビメを背負い、黄泉比良坂(四方見坂)へと駆け抜けた足跡が、今も那賀町の風景の中に息づいているのです。

詳しくはYouTube「スサノオの試練、根堅州国とは那賀町だった」をご覧ください。*1

【参照リンク】
 ※1 YouTube「スサノオの試練、根堅州国とは那賀町だった


邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲小松島市「赤石」「櫛渕」。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった

▲那賀町。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/中年タケシ】
「難しい歴史の話は抜き!」をモットーに、徳島の史跡をユルく楽しく巡るYouTuber。キャンプ好きが高じて阿波の歴史の奥深さに目覚め、現在は「歴AWA(レキアワ)」として活動中。中年タケシならではの等身大の目線で、地元の何気ない景色に隠された壮大なロマンを軽妙に綴る。

[問い合わせ先]なし


中年タケシ氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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オキタリュウイチ氏の説/


オキタ氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】5話目/黄泉の道は阿波だった


【執筆/オキタリュウイチ】
オキタリュウイチ ディープ・ブランディング株式会社代表  元真言宗・僧侶 徳島県生まれ。早稲田大学中退。行動経済学に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の老舗企業再生等を行う。京都の老舗米屋を2400万円から20億円の売上にするなど、驚異的な成果を生み出す傍ら、同時に社会活動家として、自殺者撲滅や日本財団と共催し障害者の起業支援を行うなど、社会的課題の解決に取り組む。近年は、社団法人「日本神社再生機構」を立ち上げ、滅びゆく日本の神社の再生に従事する。 

[問い合わせ先]office@deepbranding.jp


オキタリュウイチ氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶公式ホームページ




【シーズン2】5話目【完】。

次回は・・・

竹取物語と阿波の関係
記事公開日は2026年6月1日(月)。乞うご期待

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