歴史・文化
2026/06/15 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
シーズン2からニューカマーの執筆者も3名加わり、新たな視点・論説を繰り広げてくれることに期待してます(シーズン1から引き続き執筆していただける5名の皆様にも多謝致します)。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。

この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな
無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。

※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、
本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。



邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】6話目/竹取物語と阿波の関係


【通説】

『竹取物語』(たけとりものがたり)

平安時代前期に成立した日本の物語。「現存する日本最古の物語」とされる。 

主人公・かぐや姫竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝く竹の中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」とあるように、日本最古の物語といわれる。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。いつからかは不明だが『かぐや姫』の題名で絵本・アニメ・映画など様々な形において受容されている。

題名
『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代には次のように呼ばれていた。
●平安時代:『竹取の翁』 (『源氏物語』・絵合巻)『かぐや姫の物語』 (同・蓬生巻)
●鎌倉時代:『竹取』 (『無名草子』) 『たけとり』 (『風葉和歌集』)
●室町時代:『竹取翁』 (『河海抄』)
古写本の外題では『竹取物語』の他にも、『竹とり』(久曾神甲本・流布本第1類)、『竹物語』(高松宮本・同第3類)、『竹取翁物語』(古活字十行甲本・同第3類 など)と呼ばれている。

成立:伝・後光厳天皇筆古筆切の1つ。「火鼠の皮衣」の一節が記されている。京都府・毘沙門堂旧蔵。
成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、写本は後光厳天皇の筆とされる室町時代初期(南北朝時代、14世紀)の古筆切数葉が最古といわれ、完本では室町時代末期の元亀元年(1570年)の奥付を有する「里村紹巴本」、無奥書だが永禄・天正頃とされる「吉田本」が発見されているが、いずれも室町時代以前のものではない。10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』、『源氏物語』内で「絵は巨勢相覧、手は紀貫之書けり」と言及されており、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。

関連作品としては『丹後国風土記』、『万葉集』、『今昔物語集』などの文献、能楽『羽衣』、昔話『天人女房』、『絵姿女房』、『竹伐爺』、『鳥呑爺』などが挙げられる。当時の竹取説話群を元に創作されたと考えられる。 

作者は不明である。作者像として当時の推定識字率から庶民は考えづらく、上流階級に属し、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住していたと考えられる。物語に風刺的・反体制的要素が認められ、当時権力を握っていた藤原氏の係累ではないと考えられている。

漢学(漢語・漢文訓読体の使用)・仏教・民間伝承に精通し、仮名文字を書け、和歌の才能もある知識人で[12]、貴重であった紙の入手も可能な人物で、男性だったのではないかと推定されている。また、和歌の技法(掛詞・縁語の多用、人名の使用)は六歌仙時代の傾向に近い。

以上をふまえ、源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄、菅原道真など数多くの説が提唱されている。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代)。




シン・きーちゃん氏の説/竹取物語と阿波の関係——かぐや姫は忌部の娘だった


お元気様です🫡
竹から生まれ、五人の貴公子に難題を出し、最後は月へと帰っていく。誰もが知る『竹取物語』ですが、阿波から読み直すと、まったく別の姿が見えてきます。

■ 物語の中に、すでに「忌部」がいる。
『竹取物語』には、かぐや姫の名付け親として「三室戸斎部秋田」という人物が登場します。斎部——つまり、忌部。そして、育ての親である竹取の翁の名は「讃岐造」。
讃岐忌部は、神事に使う竹の祭具を作っていた一族でした。讃岐忌部が竹の祭具を作る一族だったからこそ、かぐや姫は「竹から」生まれた——そう考えると、物語の設定がぐっと腑に落ちます。『古語拾遺』には、阿波忌部が麻と穀を植え、木綿や麻布を朝廷に貢進し、讃岐や東国へと一族が広がったことが記されています。登場人物の名前を辿るだけで、物語の奥に阿波忌部の影が見えてくるのです。

■ ここからは、私の妄想ですが——。
かぐや姫は、讃岐忌部が朝廷に捧げようとした「外交の姫」だったのではないでしょうか。五人の求婚者への難題は、ただの無理難題ではなく、阿波の古代資源——若杉山の辰砂、青く光る阿波青石、忌部の麻布——を朝廷にちらつかせた、政治的な駆け引きだった。そう読み替えると、物語が急に血の通った歴史になります。そしてもう一つ。物語では、かぐや姫が「帝の求婚を断った」と描かれます。でも、本当は逆だったのかもしれません。藤原氏が自分の娘を次々と帝へ嫁がせていた時代、忌部の娘・かぐや姫が帝に嫁ごうとしたのを、藤原氏が拒んだ——。そう考えると、姫の意志ではなく、朝廷内の政治力学が彼女を遠ざけたことになります。

そして月へ帰されるかぐや姫。ここでの「月」を、私は阿波の月読勢力、すなわち海人忌部の世界として読みたいのです。美馬の西照神社、美郷の月野伝承、瀬戸内を見渡す月読命の信仰——。朝廷との結びつきに失敗した姫は、自分のルーツである忌部の元へ戻された。月へ帰るかぐや姫が、どこか寂しげに描かれているのは、役割を果たせなかった悔しさと、忌部一族への申し訳なさだったのかもしれません。竹取物語の舞台が阿波だったと断定するには、まだ決め手が足りません。けれど物語の奥には、阿波忌部という確かな古代の名が、静かに刻まれています。

一緒に歴史沼にハマりましょう!

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲かぐや姫は忌部の娘あった。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/きー(Key)】
お元気様です🫡 日本神話と日本古代史のロマンに、気づけば毎日どっぷり沼っている きー(Key)です。阿波(徳島)を拠点に、文献(古事記・日本書紀など)と現地(神社・地名・遺跡)の両方から、あれこれ想像して深掘りするのが好き。YouTube「シン・きー歴史沼チャンネル」発信に加え、ツアー企画/現地ロケ/ライブ配信/講演もしています。一緒に歴史沼にハマりましょう!🗝️

[問い合わせ先]history.key21@gmail.com


きー氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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ヤマモトタケルノミコト氏の説/『竹取物語』の作者は空海、舞台は阿波・讃岐では!


有名な物語ですが、作者不明ですね。ただ、かぐや姫に求婚した「5人の貴公子」は単なる物語上の人物ではなく、当時の権力者や古代豪族をモデルにしている可能性がありそうですね。物語では、5人はそれぞれ“不可能な宝物”を探しに行かされ、最後には全員失敗します。これは「地上の権力では天上の姫を得ることはできない」という思想を表しているとも言われます。
五人は以下の人物です。
① 石作皇子(いしつくりのみこ)求められた宝:「仏の御石の鉢」。
“石”を扱う名から、古代の祭祀や巨石信仰を担った一族を象徴すると見る説があります。阿波には磐座(いわくら)信仰や巨石祭祀が数多く残り、剣山系の山岳信仰とも重なります。また、「仏の石の鉢」は霊力・祭器の象徴とも考えられ、古代祭祀王権への挑戦を暗示しているとも言えます。
② 大納言:大伴御行(おおとものみゆき)求められた宝:「龍の首の珠」。
大伴氏は武力を司った軍事豪族でした。“龍”は水・天候・権力の象徴であり、龍神信仰とも結びつき、阿波にも那賀川・吉野川流域を中心に龍神伝承が残っています。大伴氏は「武力で神秘を手に入れようとした勢力」の象徴とも考えられます。
③ 右大臣:阿倍御主人(あべのみうし)求められた宝:「火鼠の皮衣」。
阿倍氏は実在する有力氏族であり、陰陽道や祭祀とも関係が深い一族です。「火に焼けない衣」は、霊力や神通力の象徴とも解釈できます。これは、古代呪術者・祭祀王としての権威争いを表している可能性があります。
④ 中納言:石上麻呂足(いそのかみのまろたり)求められた宝:「燕の子安貝」。
石上氏は、物部氏と関係する古代祭祀・武器管理氏族です。「燕」は渡来や天の使いの象徴でもあり、「子安貝」は生命誕生や女性性を示す神秘的な宝です。“生命の秘密”や“神の血統”を求めた氏族を象徴しているとも読めます。
⑤ 車持皇子(くらもちのみこ)求められた宝:「蓬莱の玉の枝」。
“蓬莱”は不老不死の仙境です。これは古代阿波の若杉山の辰砂をモデルにしているのでは。また阿波は古代海上交通の重要拠点であり、吉野川河口や鳴門や阿南を通じて大陸文化が流入しました。車持皇子は、「海を支配した豪族」の象徴という見方もできます。

この5人は単なる恋愛相手ではなく、祭祀権力、軍事勢力、呪術勢力、血統・神器勢力、海上勢力という、古代日本を動かした巨大勢力の象徴とも考えられます。ただ解釈は多岐にわたります。そして、その全員がかぐや姫を得ることができなかった。これは、「かぐや姫」が単なる女性ではなく、“天の権威そのもの”であり、求婚者たちを退ける姿は、権力や財力に屈しない強い意志の象徴として描かれていると思います。また阿波古代史の視点で見るなら、かぐや姫とは卑弥呼的な神聖な女王であり、5人の求婚者とは、その神秘的王権を巡って争った古代豪族たちの象徴的物語とも考えられそうですね。読者の皆さんの見解はいかがでしょうか。

いつもならココで終わりですが、ここからはヤマトモタケルノミコトの自由な発想の文章です。(笑)。なぜかぐや姫は竹から生まれ、月に帰らなければならなかったのか?「かぐや姫」が月の世界から来たという設定は、当時日本人が月に対して抱いていた特別な感情や信仰心と結びついているのか、そもそも月氏族(ツクヨミノミコト)が月に関係していたのか。

勝手に第2部です。月は人工天体。 
月にまつわる謎は、古代の信仰だけにとどまらず、近年NASAが「月は自然にできた天体ではなく、高度な技術を持つ異星人によって作られた人工天体ではないか?」という大胆な仮説が浮上しており、ある地震実験で、月面に人工的に地震波を発生させたところ、月がまるで空洞の金属のように振動したそうです。岩石の密度が非常に低く、チタンやジルコニウム等の稀な金属が豊富に存在し、月は常に同じ面を地球に向けており、裏側を地上から直接観測することはできません。月が本当に人工天体であるならば、それは人類の歴史を根底から覆す大発見ですね。かぐや姫が月から来たという物語も、単なる伝説ではなく、古代の日本人が月の真実を知っていたことを示唆するものになるのかもしれません。

また最近:「日本は宇宙人に守られている」という衝撃的な噂がネット界隈であります(NASA公式発表ではありません)。なぜ日本が特別視されるのか? その理由が過去の出来事の日本人の行動だそうです。ある時UFOが損傷し子供たちを乗せたまま地球に不時着した際、他の国々では子供たちが被害を受けたケースがあったが、日本人は唯一、彼らを保護し助けたそうです。この行動が宇宙人にとって感謝する事になり日本を守る理由になったとか。日本は古代から何らかの形で宇宙的存在と関わりがあり、その関係が現代にも影響を与えているのですかね。真相は全く分かりませんが。2部は、ほぼ聞いた話とネット情報です。ご了承ください(笑)。

追伸:月光浴ご存じですか。月の光は体の中にも浸透するので腸と内臓にも良いエネルギーを循環させるそうです。エジプトの女王クレオパトラも入浴後に香油を塗り、月光を浴びて美を保っていたそうです。月の光は太陽の光とは異なり「陰のエネルギー」を持ち、心を穏やかにし、リラックス効果をもたらすとされています
皆さんも月光浴してみませんか。

1点ご注意:決して月に向かって吠えて、変身しないでくださいね。ワオーーーン(笑)。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲竹取物語の舞台が阿波だったらなぁ!。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲かぐや姫は月の一族なのか。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/ヤマモトタケルノミコト】
阿波古代の素晴らしさを広く伝えるために日々走り回っている阿波古代伝道師。とくしまクチコミ大使!(徳島商工会議所)。邪馬台国は阿波だった!ラジオMC(エフエムびざん)。アワテラスラボ 理事長。阿波ヤマト財団事務局長。徳島県 観光審議員。徳島YEG:卑弥呼フェス開催。映画「少女H」撮影上映。徳島JC:映画「佳歩」撮影上映。口ずさめとくしまの歌!開催。

[問い合わせ先]heartfull80@gmail.com


ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶邪馬台国は阿波だった!(YouTube)
▶▶アワテラス歴史研究所アワラボ(Facebook)
▶▶一般財団法人阿波ヤマト財団(公式HP)






藤井榮氏の説/美は人を殺す


◆かの源氏物語にも『物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁』と記される日本最古の物語とは一体どのような物語であったのでしょうか。他の執筆者の方々は、おそらくは登場人物を阿波・讃岐ゆかりの人物に当てて物語そのものも阿波・讃岐の物語であると論じられるのではないかと思いますので、今回も別の観点から物語の本質とその意味について考えたいと思います。

◆竹取物語という説話文学における「竹とは何か」、「月とは何か」、「かぐや姫をどういう風に説話的に理解したらいいのか」ということが物語の本質ですが、この物語の最大の特徴は和歌や他の物語にはないその「明朗さ」にあります。 ◆例えば、物語最後のくだりでかぐや姫が天の羽衣を着ると、とたんに「翁を不憫に思う心がなくなった」というあたりですね。 このような叙情を拒否した天真爛漫さは信仰とか呪術の世界にある信頼感ともいうべきものです。 ◆またこの「明朗さ」は、清冷、清らかで冷たいとか谷間の冷たい水のような感じがあります。これが作中「けうら」とか「きよら」とかいわれるものです。 ◆この「きよら」で形容される女性がもう一人源氏物語の紫の上です。紫の上は「きよら」「きよら」とよく出てきますので、かぐや姫のイメージを引きずっているというようにも感じられます。死ぬときまで月との関係が深く、中秋の名月前夜の月明のなかで死にます。 ◆紫の上はまた最初は「霞の間に咲いている樺桜みたいだ」というように桜のイメージで形容されますが、これは春のイメージでもあるわけでコノハナサクヤビメ(木花の佐久夜比売)とも似ているのですね。 
 
◆このように系譜が出来ていくのですが、竹取物語ではかぐや姫は春の頃から物想いに沈んで秋までかかります。かぐや姫はやはり花の化身と言えるような存在なんですね。◆花イコール月、イコール美女、というイメージはどこかもうあちらの世界の方へずーっとつながっている人、触れがたいという系列の女性です。コノハナサクヤビメも同様ではかなさ体験の根本のような女性で死のイメージと濃厚に結びついています。 ◆かぐや姫は帝から嫁にすると求婚されても「絶対にならない」と拒絶すると、帝から「それは人をたくさん殺した人間のせりふだ」と言われます。 ◆美女で人をたくさん殺す系譜は西洋の昔話によく出てきますが、西洋の昔話は男に問題を与えてだめなら殺すわけですが、かぐや姫やコノハナサクヤビメはどこかそういうことを匂わせながら少し違う方向に行き、その裏にはすごく冷たい殺しのようなイメージがずっとあるのです。‥‥やはり「美は人を殺す」のです。 ◆人を殺さない美は美ではない、糸屋の娘は目で殺します。桜もあまりにも美しいので見ていると死んでしまうのです。 ◆すごい美人が自殺するというのは人を殺さずに自分の方を殺すのですね。かぐや姫は自殺ではなく月の世界へ帰っていきます。これはまたひとつの自殺なんですね。

◆月が人を殺すなんてことは今日でもありますし、月の女のかぐや姫が人を殺すというのも今日の話でもあります。 ◆また竹というのは男性のシンボルでその属性がイメージのなかにいっぱいあって非常に呪術的な力をもっていて、その竹の中から女の子を見つけたというときはそういう属性が物語のなかにはあるわけです。 ◆一方桃は女性のシンボルでその中から桃太郎という男の子が生まれます。 ◆竹取物語のおもしろいところは竹が月につながっていることです。この竹と月のつながる線が竹取物語の非常に大事な軸になっているのです。 ◆いわば政治的体制の反対側です。月は満ち欠けにより死と再生を繰り返すもので、竹という自然の成長力の強いものとの軸、人為的・人工的なものと違う側の象徴として月があり、月の力のこの地における反映力として竹があるのです。 ◆竹の中は“うつろ”ですが、折口信夫※1の「うつろなるもの」というように空洞はひとつの聖空間です。 ◆一番最後のところで翁が塗籠(ぬりごめ)の中にかぐや姫を抱いて入り取られまいとします。 コノハナサクヤビメが一夜にして身ごもったために疑われたことから戸のない部屋に入って火をかけて出産するということなども“うつろな”聖空間において証しを立てると言うことなんですね。

◆コノハナサクヤビメやトヨタマヒメ(豊玉比売)も聖空間という現世の中の他界で子を産み、産んだ子はみな天皇の系譜になっていくわけですが、かぐや姫は天皇を拒否して違う世界、月の方へ行ってしまうという逆のことをやっているわけで、いわばこの世の一番の王権(天皇)とは違うシステムに属する非常に珍しい物語です。反体制‥‥ ◆この系譜は源氏物語の紫の上もにもつながっていて紫の上もまた子を産まないのです。つまり絶対的な美なるものは子を産むという母性を放棄しているのです。 ◆もう一人重なるのが浮舟です。自殺未遂をしているところへ横川の僧都が来て「これはなんだか分からない化け物みたいだ、かぐや姫みたいだ」と言う。浮舟はひそかに剃髪して暮らす。これは一種の擬死、偽りの死です。このように聖女の結婚拒否というものが竹取から源氏へとずーっと続いているのです。 ◆このように美が死ということと重なっていて死抜きで美を語ることは出来ないのであり、美の完結するところで不死を否定しているのです。これは近代三島由紀夫の美学でもあります。

◆これでお分かりいただけるように竹取物語は女性原理復活の物語であるということです。政治の非合理性に対する自然の合理性の主張、河合隼雄※2によればこの対立は男性原理と女性原理の関係のような考え方であるということです。 ◆月は女性原理で一旦消え失せた女性原理がはっきり復活してきて男性に対する優位性を語っている物語であるといえます。 ◆日本においては男性原理は一度も優位にはならなかったのではないでしょうか。 ◆そうしてこれは縄文文化と弥生文化という問題とも関係してくるのかもしれません。

※1 柳田国男の高弟にして国文学者・民俗学者、歌人(「釈迢空」)・小説家
※2 日本におけるユング心理学の第一人者であり、現代臨床心理学の礎を築いた著名な臨床心理学者
㊟ 今回の執筆に当たっては、河合隼雄対談集『物語をものがたる』(小学館)中、中西進氏との対談「美は人を殺す」から適宜引用・整理した上で私見を交えて書かせていただきました。両先生の卓見に教わること大、感服致しました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】
昭和24年美波町(旧日和佐町)生。平成22年徳島県庁退職。平成26年本格的に阿波古代史の勉強を開始、平成27年「邪馬台国阿波説入門講座」(現「阿波古代史講座」)を開講、令和4年2月古代史塾を起こしHPを開設してYouTube動画配信を開始、同年4月『古代史入門』、同6年2月『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をそれぞれAmazon電子書籍・印刷本出版、現在に至る。

[問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp


藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶古代史塾(公式HP)
▶▶古代史塾(YouTube)






山内雄二氏の説/讃岐と阿波で考証する竹取物語


『竹取物語』は日本最古の小説である。この物語では、竹取の翁が光る竹の中から掬い上げて育てた小さな女の子が、三か月で成人し「かぐや姫」と名付けられた。かぐや姫は、その美貌でたちまち評判となり、求婚してきた五人の貴族に難題を課し、彼らの浅知恵や虚言を暴き退ける。時の帝からも求婚されるが、これも断る。ただし帝とは歌を交わすほどの親しい仲ではあった。三年後、かぐや姫は帝の使者に帝宛の歌と不死の薬を託し、迎えに来た者達と共に月へ帰ってしまう。というSFファンタジー小説である。

『竹取物語』は、漢字と平仮名で書かれており、平仮名の成立時期や『源氏物語』などの後の作品に引用されている点から900(±50)年頃の作品と考えられている。また、作者については、紀貫之(866-945)など諸説あるが確定していない。本稿では、『竹取物語』という物語の舞台が讃岐と阿波である可能性について、登場人物の描写や設定を手掛かりに考証する。

竹取の翁は「讃岐造麻呂(さぬきのみやつこまろ)」といい、氏が讃岐、姓(かばね)が造、名前が麻呂である。つまり讃岐氏の一族で、竹林の管理を担う下級官吏であった老人である。このような下級官吏は原則として任地を離れることがないので、翁の住居は讃岐国にあったはずである。かぐや姫を第12代景行天皇の妃である迦具夜比売とする説もあるが、これは名称を借用したにすぎず、この物語に登場するかぐや姫はあくまで架空の人物である。かぐや姫に求婚し、姫から実現不可能な課題を課された五人の貴族については、それぞれ明確なモデルが存在し、いずれも同時代を生きた朝廷の重臣であると考えられ、彼らの浅知恵と失敗談こそが『竹取物語』の作者が最も強調したかったことのように思える。ここではまず、五人の貴族の経歴と、讃岐・阿波との関連性について簡潔に述べる。

① 石作皇子(いしづくりのみこ)のモデルは、多治比嶋(たじひのしま、624-701)とされ、宣化天皇の玄孫にあたり、696年に太政大臣・高市皇子の死後、その後任として左大臣となり、臣下最高位となった人物である。しかし、多治比嶋の痕跡は残念ながら讃岐・阿波には見つけられなかった。
② 大納言・大伴御行(おおとものみゆき)のモデルは、実名のまま大伴御行(646-701)とされ、大伴氏の氏の長者であった。696年大納言となり、多治比嶋の次官となるが、多治比嶋より半年早く薨御している。大伴氏と関連する『万葉集』63番・68番の「大伴の御津の浜」「大伴の美津能浜」を、鳴門市北灘町折野字三津の三津神社の辺りに比定する説が鳴門市在住の門田氏により提示されている。
③ 右大臣・阿倍御主人(あべのみむらし)のモデルは、同名の阿部御主人(あべのみうし)(635-703)とされ、阿部布勢氏の氏の長者であった。701年に大伴御行と多治比嶋の没後、右大臣として臣下最高位となる。香川県さぬき市寒川町に鎮座する式内社・布勢神社は、阿部布勢氏の祖である大彦命(第8代孝元天皇の皇子)を祀る社であり、この氏族との関連を示す重要な痕跡と考えられる。
④ 中納言・石上麻呂足(いそのかみのまろたり)のモデルは、石上麻呂(いそのかみのまろ)(640-717)とされ、旧物部氏の出身である。701年中納言となったが、当時は既に藤原不比等が実権を握っていた。この物部氏の祖である伊迦賀色許売・伊迦賀色許男の姉弟を祀る式内社・伊加加志神社が、徳島県吉野川市川島町に鎮座している。また、東讃岐には石上神社が3社あり、物部氏と石上氏との関連を示す痕跡として注目される。
⑤ 車持皇子(くらもちのみこ)のモデルは、藤原不比等(659-720)で、701年に大納言となった。その母親は車持氏の出身で天智天皇の妃であったが、藤原鎌足に下賜されたことから、不比等を天智天皇の皇子とみなす説が当時からあった。香川県さぬき市志度の志度寺には、藤原不比等と海女、そして二人の子の房前(ふささき:藤原氏北家の祖)にまつわる悲話が伝わっており、この物語は「能」の演目「海人(あま)」でも語られている。また、近くに琴平電鉄の「房前駅」があり、地名としてもその名が残っている。

『竹取物語』に登場する帝は、年若く清純で少し病弱な人物のように描かれている。更に、前述した五人の重臣と同時代といえば、そのモデルは文武天皇(683-707)以外に考えられない。文武天皇の宮都は「藤原京」で、通説では藤原京は奈良にあったとされている。一方、阿波説では、飛鳥京を小松島市に、藤原京を吉野川市鴨島町に比定する見解が示されている。従って、『竹取物語』の舞台における帝の居所である藤原京は鴨島町にあり、かぐや姫の住む屋敷は阿讃山脈の讃岐側に位置する考えられる。物語の中で、帝が狩りを理由に、「山もと」に在るという翁の屋敷を訪れ、かぐや姫に会う場面があるが、この「山もと」は阿讃山脈の中央を東西に走る現在の国道377号線の辺りであろうと推定される。

『竹取物語』の最後のくだりで、かぐや姫が月へ帰る際、帝の使者に「歌」と「不死の薬」を託す場面が描かれている。この描写からも、帝があまり健康的でなかったことが暗示される。文武天皇の宝算は25歳であり、若くして崩御した点も、物語の帝像と重なる。帝は、部下から「歌」と「不死の薬」を受け取るが、「かぐや姫に二度と逢えないのに死の薬など要らぬ」と述べ、部下の進言により【駿河国の山で、この都も近く、天も近い山】に持って行き、燃やすように命じた。この不死の山こそが「富士山」の名称起源であるというのが有名な通説である。確かに物語の記述から富士山を想定できるが、「この都も近く」という一節とは矛盾する。藤原京を奈良県に比定する通説では、富士山はあまりに遠すぎる。現代語訳の諸本の殆どが、「この都も近く」の説明を省略し、事実上無視しているのもそのためであろう。一方、阿波国の藤原京に都があったとすると、周囲から際立つ山容を持ち、天あるいは高天原に近いと感じられる山が、実際に都から見える。それが高越山(1,122m)である。ただ、ここは阿波国であり駿河国ではない。しかし、この山の頂上には、黄泉の国の女王・伊邪那美命を祀る全国唯一の式内社・伊射奈美神社が鎮座している。そこは、「不死の薬」を焼く場所として象徴的な意味を持っており、これ以上に相応しい場所は他にないのではないかと、私は考えている。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲高越山。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲琴平電鉄・房前駅。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】
昭和27年4月、鳴門市に誕生。小学校1年より徳島市南二軒屋町に居住。大学在学中は、山歩き、ジャズ鑑賞、読書が趣味。卒業後、神戸の会社に就職し神戸市垂水区に居住。65歳で職を辞し、徳島に帰還。「うちのかみさん」と国府町で二人暮らし。阿波説の魅力に取りつかれて20年。徳島歴史研究会で年一回、自説の阿波古代史を発表。今年で16回。国府町の「一般社団法人・大御和神社・崇敬会」の事務局を夫婦で運営。

[問い合わせ先]090-1136-7625








ANYA氏の説/


ANYA氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/ANYA(アンヤ)】
人気の大阪在住の古代史YouTuber。書籍「決定版 阿波の古代史 邪馬台国は阿波だった」。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 阿波(徳島)から日本が始まった。日本の起源も邪馬台国も四国にあった。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 歴史から消されてきた阿波の古代史が明らかになる。ヤマト政権から天皇家の起源などに関して独自の見解を述べる。 

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中年タケシ氏の説/『竹取物語』の正体―阿波・讃岐に眠る古代史のミステリー


こんにちは中年タケシです。日本最古の物語とされる「竹取物語」。その成立は西暦850年〜920年頃の平安初期と考えられています。その最大の根拠は、作中に登場する「5人の貴公子」のモデルが、壬申の乱(672年)前後を生き抜いた実在の政治家たちである点にあります。

権力者への風刺?実在した5人のモデル。
物語では、かぐや姫に無理難題を押し付けられ、偽物で騙そうとしては恥をかく貴公子たちが描かれます。これは当時の最高権力者たちに対する痛烈な風刺とも言われています。

| 物語の人物 | 実在のモデル | 背景・人物像 。
| 石作皇子 | 多治比嶋 | 左大臣。宣化天皇の末裔。
| 車持皇子 | 藤原不比等 | 藤原氏の祖。稀代の策士。
| 阿倍御主人 | 阿倍御主人 | 右大臣。実名で登場する功臣。
| 大納言大伴御行 | 大伴御行 | 実名。武人として知られた人物。
| 中納言石上麻呂 | 石上麻呂 | 左大臣。物部氏の流れを汲む高潔な家柄。

注目するのは車持皇子になります。かぐや姫から「蓬莱の玉の枝」を持ってくるよう命じられた際、職人に偽物を作らせて騙そうとしました。これが当時の「不比等=策を弄する狡猾な人物」という世評を反映しているとも言われています。彼らは「大宝律令(701年)」の整備に関わった歴史上のオールスター。なぜ、これほどの大物たちが四国の地名と深く関わる物語に登場するのでしょうか。

「竹取の翁」と忌部氏の影。
物語の鍵は、かぐや姫を育てる「竹取の翁」の正体にあります。彼の本名は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」。現在の香川県にあたる地名と、当時の地位を表す姓(カバネ)を冠しています。ここで注目すべきが、阿波を本拠地とした「忌部氏」の存在です。彼ら讃岐忌部氏は神事に使う竹細工、製紙、機織りの技術集団を率いた氏族。物語でかぐや姫に「讃岐の造 瑞光(みずこ)」という正式な名を与えるのも、同族の「斎部(忌部)秋田」という人物です。

阿波・讃岐が舞台だったのか?
阿波古代史の研究者間では、「平城京遷都までは阿波がヤマト王権の中心地だった」という説も根強く囁かれています。もしこの説を採るならば、物語の構造は一変します。「阿波(都)にいた5人の貴公子たちが、隣国の讃岐(忌部氏の拠点)にいるかぐや姫のもとへ通った」という、極めて具体的な地理的背景が浮かび上がってくるのです。最古のフィクション「竹取物語」。それは単なるおとぎ話ではなく、かつて四国に存在したかもしれない「もう一つの歴史」を今に伝えるメッセージなのかもしれません。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲かぐや姫を育てる「竹取の翁」。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係

▲讃岐忌部氏について。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/中年タケシ】
「難しい歴史の話は抜き!」をモットーに、徳島の史跡をユルく楽しく巡るYouTuber。キャンプ好きが高じて阿波の歴史の奥深さに目覚め、現在は「歴AWA(レキアワ)」として活動中。中年タケシならではの等身大の目線で、地元の何気ない景色に隠された壮大なロマンを軽妙に綴る。

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オキタリュウイチ氏の説/


オキタ氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/オキタリュウイチ】
オキタリュウイチ ディープ・ブランディング株式会社代表  元真言宗・僧侶 徳島県生まれ。早稲田大学中退。行動経済学に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の老舗企業再生等を行う。京都の老舗米屋を2400万円から20億円の売上にするなど、驚異的な成果を生み出す傍ら、同時に社会活動家として、自殺者撲滅や日本財団と共催し障害者の起業支援を行うなど、社会的課題の解決に取り組む。近年は、社団法人「日本神社再生機構」を立ち上げ、滅びゆく日本の神社の再生に従事する。 

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百万平氏の説/竹取物語と阿波の関係 


『竹取物語』は日本最古のSFともいわれ、その舞台には奈良県広陵町周辺をあてる説があります。ここには「笠」という地名が残り、竹を連想させる土地として知られ、さらに式内社・讃岐神社が鎮座しています。この神社は古く「散吉(さぬき)」と呼ばれた三吉の地にあり、讃岐から移住した忌部氏が故郷の神を勧請したと伝えられています。『三代実録』には「散吉大建命」「散吉伊能城神」に従五位下が授けられた記録があり、これが延喜式神名帳の讃岐神社にあたるとされています。つまり、この地は古代から「讃岐」と深いご縁を持つ場所だったと考えられます。

物語の中で、かぐや姫を育てた翁の名は「讃岐造(さぬきのみやつこ)」です。これは単なる人名ではなく、「讃岐の長」を意味すると考えられています。そうであれば、そのルーツを四国・讃岐に求めるのは自然なことではないでしょうか。古事記には開化天皇の系譜に「讃岐垂根王」が登場し、その姪として「迦具夜比売命」が記されています。かぐや姫との名の響きはとても興味深いものです。ちなみに、迦具夜比売命の父は大筒木垂根王であり「筒」は「竹」や「星」を連想します。讃岐忌部氏は竹や麻を扱う氏族として知られ、香川県三豊市やさぬき市周辺で竹を確保し、朝廷へ献上していました。竹取の翁が「讃岐造」である背景には、このような讃岐の竹文化が重なって見えてきます。

さらに、善通寺市の大麻神社の社伝には、神武天皇の時代に讃岐忌部と阿波忌部が協力して麻を植え、讃岐平野を開いたと伝えられています。大麻山はその象徴的な地であり、讃岐と阿波の深い結びつきを今に伝える場所です。また、阿波には「籠山(かごやま)現 日峰山」という聖地があり、「かぐや」の「かぐ」は「かご」に通じるとも考えられます。さらに阿波は国生み神話で「大宜都比売」の地ともされ、月へ帰るかぐや姫の物語との重なりを感じさせます。かぐや姫の名付け親は「御室戸忌部の秋田」とされ、「室戸」は空海が修行し悟りを開いた高知県室戸岬を思わせます。空海は讃岐の出身であり、『竹取物語』の作者を空海とする説も古くから語られています。

奈良の讃岐神社、讃岐忌部に阿波の籠山、そして空海とかぐや姫。こうして見ていくと、『竹取物語』は単なる月の姫の幻想譚ではなく、四国全体の古い記憶を映した物語だったのかもしれません。ちなみに、「竹取」という言葉から連想される象徴的な見方もあります。「籠」の字は竹冠を持ち、「竹を取る」と「龍」になるとも読めます。かぐや姫が月へ帰る物語を、龍や天へ昇る存在として重ねて見る解釈もできるのです。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】6話目/竹取物語と阿波の関係


【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】

沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。

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【シーズン2】6話目【完】。

次回は・・・

古代豪族「忌部氏」とは
記事公開日は2026年7月1日(水)。乞うご期待

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