歴史・文化
2026/07/01 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。

この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな
無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。

※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、
本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。



邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【通説】

忌部氏
古代日本の宮廷祭祀を担った名門氏族で、天太玉命を祖神とし、祭具製作や宮殿造営を司った。起源と祖神:忌部氏(のち斎部氏)は、古代朝廷における祭祀を担った氏族で、祖神には天太玉命、阿波忌部では天日鷲命、紀伊・讃岐忌部では天道根命が知られています。氏族名の「忌」は「穢れを忌む」、すなわち斎戒を意味し、神事において身を清めることを象徴しています。

役割と活動
忌部氏は、宮廷祭祀、祭具製作、宮殿造営を担当し、中央氏族として奈良県橿原市忌部町を拠点に各地の忌部を統率しました。『延喜式』には、重要な祭祀では忌部氏の祝詞を用いることが定められ、当時の祭祀における地位の高さがうかがえます。祖神の天太玉命は、天岩戸神話や天孫降臨神話に登場し、アマテラスの岩戸隠れの際には中臣氏の祖神アメノコヤネと共に祭祀を行ったとされています。

地方忌部と阿波忌部
地方にも王権に奉仕する忌部が存在し、阿波忌部はその一例です。阿波忌部は天皇の即位儀礼である大嘗祭に奉仕し、麻植郡に祖神天日鷲命を祭る忌部神社がありました。地方忌部は讃岐、紀伊、出雲などにも置かれ、場合によっては房総半島に移住したとする伝承もあります。

中臣氏・藤原氏との関係
本来、朝廷祭祀は忌部氏と中臣氏が共同で司っていましたが、乙巳の変以降、中臣氏(のちの藤原氏)が勢力を拡大すると、忌部氏は衰退し、斎部氏へと改称されました。平安時代には斎部広成が『古語拾遺』を著し、中央忌部氏の祖先や祭祀の伝承を記録しています。

まとめ
忌部氏は、古代日本の宮廷祭祀を中心に活動した氏族で、祭具や宮殿の造営、地方忌部の統率を通じて王権に奉仕しました。祖神天太玉命を中心とした神話的背景を持ち、後に中臣氏・藤原氏の台頭により歴史の表舞台からは姿を消しましたが、祭祀や文化の伝承において重要な役割を果たした氏族です。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲斎部広成氏 『古語拾遺』。






ヤマモトタケルノミコト氏の説/忌部氏 ― 日本創成を支えた“影の建国者”たちのルーツ


日本の歴史を語るとき、多くの人は天皇家や藤原氏、源平の武士たちに注目します。しかし、日本という国の礎が築かれた創成期において決して忘れてはならない存在が【忌部氏(いんべし)】です。忌部氏は、単なる地方豪族ではなく神話の時代から国家祭祀を司り、日本の精神文化そのものを形づくった古代豪族です。その祖神は天岩戸神話にも登場する「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」で、天照大神が岩戸に隠れ世界が闇に包まれた際、祭祀を取り仕切り、神々を導いた神とされています。つまり忌部氏は、日本最古の祭祀集団として神話の舞台に登場しているのです。そして諸説ありますが、その天太玉命の後裔が阿波の地に根付き、後に「阿波忌部氏」と呼ばれるようになったと考えています。
 
古代日本において、祭祀とは単なる宗教儀式ではなく、政治であり、外交であり、国家運営そのものでした。天皇が即位する際に執り行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)はその象徴ですね。この践祚大嘗祭において、最重要供物が「麁服(あらたえ)」であり、驚くべきことに、この麁服を調進する役目を古代から担ってきたのが忌部氏であり、千何百年前から、阿波の木屋平の地からこの最重要供物「麁服」が調進される事にもっと注目するべきです。それは単なる麻の布はなく、天皇が天照大神と一体となり、日本国の安寧を祈るための神聖な儀式であり、阿波は日本最高の祭祀を支える特別な地であり、その中心を担う存在が忌部氏です。これは相当凄いことだと思います。

また『古語拾遺』には忌部五部神の記載もあり技能集団であることが見受けられます。
●阿波忌部(徳島):祖神:天日鷲命 職掌:木綿・麻布の貢納:「麻植」は阿波忌部が麻を植えた場所
●出雲忌部(島根)祖神:櫛明玉命 職掌:玉の貢納
●紀伊忌部(和歌山):祖神:彦狭知命 職掌:材木の貢納、宮殿・社殿造営
●讃岐忌部(香川)祖神:手置帆負命 職掌:竹(盾)の貢納
●筑紫・伊勢(福岡・三重)祖神:天目一箇命 職掌:刀・斧・鉄鐸・鏡など作成

また【忌部五雲(いんべごうん)】という忌部神社の神官家を指す言葉があり、早雲(はやくも)、村雲(むらくも)、岩雲(いわくも)、花雲(はなくも)、飛雲(とびくも)の五つに分けられていたそうです。私はここから出たのが出雲(でるくも)→(いづも)では、なんて思ったりしています(笑)(笑)。何はともあれ、古代日本祭祀豪族の【忌部氏】は謎に満ちた一族ですね。

ここからはヤマモトタケルノミコトの妄想コラムになりますが、忌部氏 一説には、アカホヤの大噴火で古代縄文人が倭から出ていき、色々な国を周って戻ってきたときに、日本の政治に祭祀を取り入れた一族で、イスラエルのレヴィ族(祭祀の一族)ではないのかと、よく古代史×都市伝説周りで言われています。 私はレヴィ族ついかして、エジプトの大神官イム・ホテップや、中国古代「殷(いん)」王朝との関りを感じてしまいます。「殷」と「忌」の音や祭祀文化の共通性に何らかの繋がりがあってもおかしくないのではと考えています。殷王朝は青銅器文化と祭祀文化を発展させた王朝で、王は政治的支配者であると同時に、祖先神や天帝と交信する最高祭司で、殷王朝は、「祭りを司る者が国を治める」という祭政一致の国家であり、この特徴は古代倭の祭祀を司った忌部氏の役割とも重なっているのではと思います。そして中国の書籍『契丹古伝』には「殷はもと倭なり」という記述があり、殷國は倭人が造ったと書かれており、契丹古伝だけを読めば、殷王朝の人々(中国の先住民)は日本と同じ倭人が住んでいたことになります。忌部氏は縄文人で、シュメール→エジプト→中国→イスラエルに関係している一族では?大きいこと書いてしまいましたが謎深い忌部氏。阿波を盛り上げるためにもさらなる研究成果が必須ですね。

まとめ。忌部氏は日本最古の技術者集団であり、文化創造集団だったのは間違いなく、大和朝廷が成立していく過程において、彼らは阿波から各地へ進出し、全国に祭祀文化と高度な技術を広めていきました。その痕跡は、全国に残る忌部ゆかりの神社や地名の中に今も見ることができます。しかし徐々に、朝廷内で藤原氏が勢力を拡大すると、祭祀を担っていた忌部氏の立場は徐々に弱まっていきます。それでも彼らは日本の根幹を支える祭祀の火を絶やしませんでした。千年以上の時を超えた現代においても、阿波では麁服の伝統が受け継がれています。木屋平の三木家は、古代忌部氏の系譜を伝える「御殿人」として知られ、今なお大嘗祭に関わる伝統を守り続けています。これは世界的に見ても極めて稀なことですね。神話の時代から現代まで、同じ祭祀文化が受け継がれている例はほとんどなく阿波忌部氏も単なる古代豪族ではなく開拓精神あふれる豪族で、神々と人を結び、地方と都を結び、そして過去と未来を結ぶ存在です。表舞台に立つことは少なくとも、その働きなくして日本という国の精神文化は成立しなかったと言っても過言ではないですね。

忌部氏こそ、日本創成の陰で国を支え続けた「影の建国者」であり、その足跡は今もなお阿波の地に脈々と息づいていますね。皆でその痕跡を探して、末永く祀っていきましょう。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲【妄想です】世界を巡る忌部氏。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/ヤマモトタケルノミコト】
阿波古代の素晴らしさを広く伝えるために日々走り回っている阿波古代伝道師。とくしまクチコミ大使!(徳島商工会議所)。邪馬台国は阿波だった!ラジオMC(エフエムびざん)。アワテラスラボ 理事長。阿波ヤマト財団事務局長。徳島県 観光審議員。徳島YEG:卑弥呼フェス開催。映画「少女H」撮影上映。徳島JC:映画「佳歩」撮影上映。口ずさめとくしまの歌!開催。

[問い合わせ先]heartfull80@gmail.com


ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶邪馬台国は阿波だった!(YouTube)
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▶▶一般財団法人阿波ヤマト財団(公式HP)








藤井榮氏の説/“中央忌部”とは


◆古事記上つ巻天の石屋戸のくだり、 「‥‥是(ここ)を以ちて八百万(やほよろづ)の神、天の安の河原に神集ひ集ひて、高御産巣日(たかみむすひ)神の子、思金(おもひかね)神に思はしめて、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、天の安河の河上の天の堅石(かたしは)を取り、天の金山の鉄(まがね)を取りて、鍛人天津麻羅(かぬちあまつまら)を求(ま)ぎて、伊斯許理度売(いしこりどめ)命に科(おほ)せて鏡を作らしめ、 ◆玉祖(たまのや)命に科せて八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の御(み)すまるの珠を作らしめて、 ◆天児屋(あめのこやね)命、布刀玉(ふとだま)命を召して、天(あめ)の香山(かぐやま)の真男鹿(まをしか)の肩を内抜(うつぬ)きに抜きて、天の香山の天の朱櫻(ははか)を取りて、占合(うらな)ひまかなはしめて、天の香山の五百津真賢木(いほつまさかき)を根こじにこじて、 ◆上枝(ほつえ)に八尺勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著(つ)け、 ◆中枝(なかつえ)に八尺(やた)鏡を取り繋(か)け、 ◆下枝(しづえ)には白丹寸手(しらにきて:白和幣)、青丹寸手(あをにきて:青和幣)を取り垂(し)でて、 ◆此の種々(くさぐさ)の物は、布刀玉命太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天児屋命太詔戸(ふとのりと)言禱(ごとほ)き白して、 ◆天手力男神戸の掖(わき)に隠り立ちて、天宇受売(あめのうずめ)命、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繋けて、天の真析(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結ひて、天の石屋戸に槽伏(うけふ)せて蹈(ふ)み轟(とどろ)こし、神懸(かむがか)りして、胸乳(むなち)をかき出で裳緒(もひも)を陰(ほと)に押し垂れき。ここに高天原動(とよ)みて、八百萬の神共に咲(わら)ひき。」

◆長い引用で恐縮ですが、この場面で初めて布刀玉命が天児屋命とともに登場します。唐突に何の前書きもなく、また誰それの祖(おや)であるとか古事記主要神であれば必ずや記される注書きなどがないのです。※1 ◆かと思えば、天孫降臨条ではいきなり天児屋命と並んで布刀玉命は天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命とともに五伴(いつとも:五つの部曲(かきべ))の緒(を:族長)として邇邇芸(ににぎ)命に付き従って天降りしたと記され、続いてようやく天児屋命は中臣連等の祖(おや)、布刀玉命は忌部首等の祖であると注書されているのです。 ◆以後、古事記で布刀玉命も天児屋命も出て来なくなります。

◆このような書きぶりをみると何か意図的なものを感じざるを得ません。しかも布刀玉命を天児屋命と並べて書いていることに何かしら底意を感じてしまうのです。 具体的には、① 天の石屋戸と天孫降臨条という古事記神代の重要場面で揃って出てくること、② 忌部を中央忌部と阿波忌部に分かち※2、中央忌部を奈良県橿原市を本貫地として捉えていることです。 

◆先ず①については、祭祀氏族なるが故と思われるかも知れませんが、名門物部・葛城・大伴氏などを差し置いて重要かつ晴れがましい舞台で登場しておきながら以後何の活躍もみないことです。また中央忌部の祖「布刀玉命」を別天(ことあま)つ神(造化の三神)の一柱「高御産巣日(たかみむすひ)神」の子である※3とし、また阿波忌部の祖「天日鷲(あめのひわし)命」を同じく別天(ことあま)つ神(造化の三神)の一柱「神産巣日(かみむすひ)神」の裔神であるとされていますが、そもそもこの二柱の神々は正しく架空の観念神であり、この観念神を祖としていること自体強い疑念を抱かざるを得ません。これは忌部氏の権威づけのために神聖性を主張して二神と結びつけたものと思われます。 

◆また②については、そもそも中央忌部の本貫地とされている奈良県橿原市を始めとした奈良、つまり古代大和そのものの歴史は非常に新しく、『大和国風土記』逸文を見れば一目瞭然、万葉集の時代においてなお老狼(おいおおかみ)が人を食らうような未開の地であったのであり※4、およそ古代有力氏族の本貫地たり得ることなどあり得ないのです。要するに、“中央忌部”などという氏族は存在しないということです。 ◆現在の奈良地方が「大倭」と呼ばれるようになり歴史の表舞台に登場するのは、律令期以降「記紀」の時代が終わった遙か後代になってからのことです。

◆これを要するに、古代豪族「忌部氏」の実体は阿波忌部氏のことであり、律令期の平城遷都以降に阿波から奈良へ移り住んだ集団を“中央忌部”と呼んだだけのことです。忌部の宗家は阿波であり他の忌部は阿波忌部の分かれです。 ◆“中央忌部”という呼称となったのは、おそらく平城遷都前後から政治の実権を握った為政者藤原不比等がその祖天児屋命とともに敢えて布刀玉命を並べ記すことにより奈良で初めから“中央忌部”が存していたかのごとくカムフラージュすることで己が氏族の祖が目立ち過ぎるのを回避したかったものと思われます。 ◆平城遷都後、不比等の政治力によって阿波が隠り国(こもりく)にされたことをみれば、藤原氏の隆盛と忌部一族の衰退は十分ご納得いただけるのではないでしょうか。

※1 日本書紀では、「中臣連が遠祖(とほつおや)天児屋命、忌部が遠祖太玉命」と記されていますが違和感を感じざるを得ません。
※2 天道根(あめのみちね)命を祖とする流れ(紀伊忌部、讃岐忌部)もありますがここでは触れません。
※3 記紀には書かれていませんが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されています。
※4 【万葉集巻八1636番】舎人娘子の雪の歌一首『大口の 眞神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに』

【参照リンク】
 小著『古代史入門』、同 『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』(Amazon電子書籍・印刷本)


邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】
昭和24年美波町(旧日和佐町)生。平成22年徳島県庁退職。平成26年本格的に阿波古代史の勉強を開始、平成27年「邪馬台国阿波説入門講座」(現「阿波古代史講座」)を開講、令和4年2月古代史塾を起こしHPを開設してYouTube動画配信を開始、同年4月『古代史入門』、同6年2月『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をそれぞれAmazon電子書籍・印刷本出版、現在に至る。

[問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp


藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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▶▶古代史塾(YouTube)








山内雄二氏の説/皇都阿波において朝廷祭祀を司った忌部氏


忌部氏といえば、朝廷祭祀に用いる祭具や建造物の製作を担った阿波忌部氏・讃岐忌部氏・紀伊忌部氏など、諸国に分布する忌部氏と、朝廷祭祀そのものを専任し天皇家に近侍した中央忌部氏とに大別される。両者の間に血縁関係は認められず、諸国忌部氏も夫々異なる祖先を有している。803年には中央忌部氏が「斎部」と改め、807年に斎部広成が著した『古語拾遣』によると、斎部氏は天太玉(あめのふとだま)命を遠祖とすることが記されている。中央忌部氏は古代より中臣氏と共に朝廷祭祀を担ってきたが、奈良平城京遷都以降、藤原氏の台頭に伴い、その一族である中臣氏に祭祀職を奪われた。これにより中央忌部氏は奈良・平安時代を通じて衰退の一途を辿り、やがて歴史の表舞台から姿を消すに至った。一方で、諸国忌部氏は夫々の国で、独自の発展を遂げたと考えられる。

『古語拾遣』には、神武天皇の御宇に、太玉命の孫である天富(あめのとみ)命が、天日鷲命の孫を率いて阿波国に至り、穀(かじ)・麻を植え、その後、天日鷲命の子孫が当地を開拓して麻植(おえ)郡と名付け、大嘗祭に用いる「あらたえ」を造ったと記されている。つまり天富命は奈良から阿波国へ来て、阿波を開拓したかのように記されている。しかし、もとより阿波国は、神世の時代から続く『古事記』の舞台であり、神武天皇以前・以後を通じて皇祖・皇都の地である。天照大神の磐戸隠れや太玉命の神事も、阿波国の山岳地帯に比定される高天原での出来事なのである。したがって、高天原を出自とする天富命および天日鷲命の子孫は、都のある阿波における吉野川中流域(麻植郡)に下向し、そこで朝廷祭祀を担う活動を展開したのではないかと私は考えている。

徳島県内には、式内名神大社・忌部神社の論社が多数存在するが、その祭神にはいずれも阿波忌部の祖である天日鷲命を祀っている。一方、中央忌部氏の祖である天太玉命を祀る神社は阿波国内では知られていない。これは、710年の平城京遷都に際し、天日鷲命の後裔である阿波忌部氏が阿波に留まったのに対し、天太玉命の系統である中央忌部氏は朝廷神事に直接関与する立場から、一族を挙げて天皇家に随従し奈良平城京に移住したためと思われる。奈良へ移った中央忌部氏は、現在の式内名神大社・天太玉命神社(奈良県橿原市忌部町)の辺りを本拠としたと伝わっている。

私は、中央忌部氏の本貫地が元々阿波国にあったとするならば、現在の徳島県内にその痕跡が残されているはずであると考えた。阿波国一宮である大麻比古神社の祭神を天太玉命とする説があるが、同社の祭神は古来より猿田彦大神一座とされており、天太玉命を祀るとする説は明治期に神社側が唱え始めたにすぎない。神社名が示す通り、大麻比古神は猿田彦大神を指すと考えるのが自然であり、同社と忌部氏系統を直接結び付ける根拠は乏しいと、私は判断している。そこで、昭和39年発行の『鴨島町誌』を調査したところ、神社の章「小社」の項に、以下の記述があることを確認した。
●「名称:忌部主神社、 祭神:天太玉命、 鎮座地:牛島・麻原」
●「名称:麻塚神社、 祭神:天比哩刀咩命、 鎮座地:牛島・原」
●「名称:天神社、 祭神:免道若郎子命・天児屋根命、 鎮座地:牛島・天神」

忌部主神社については、『鴨島町誌』に記される鎮座地「麻原」は、現在では「小原」と表記されている。同地を住宅地図で確認すると「蛭子神社」という小祠が存在し、Googleマップ上では「蛭子神社・忌部神社」と併記されている。しかし、現地では鳥居の神額が外されており、神社名を直接確認することのできない状態である。そこで神社の前の中井家のご老人に話を聞いたところ「昔からこの神社は蛭子(えびす)神社と忌部神社の二つの名前があり、10年ほど前に二つの幟を新調した。自分の父親が蛭子神社と忌部神社の二つの名前を並記した神額を鳥居に掛けていたが現在は朽ち果てて無くなった。忌部主神社という名前は分からない。牛島八幡神社は当社から勧請を受けたとも云われている。」とのこと。

一方、麻塚神社については、住宅地図には記載がないが、Googleマップにはその所在が示されている。祭神の「天比哩刀咩(あめのひりとめ)命」は天太玉命の后神である。因みに現在この神は安房(現・千葉県)の式内大社・洲崎神社に祀られていることは有名である。社殿内には二座が祀られていたが、理由は不明である。また、当社に最も近い渡部家のご老人に神社について聞いたところ、「神社名は麻に塚と書いて「おづか」と云う。祭神は知らない。忌部との関わりも聞いたことがない。以前は渡部家だけで神社の管理をしていたが、今は近隣の郷が管理をしている。」とのこと。

現在では小祠の形態をとっているものの、これら二つの神社は、中央忌部氏が天皇に随従して奈良平城京へ移ったあと、阿波に残った数少ない子孫が祭祀を継承した名残りであるとも考えられる。また、天神社については『改訂 徳島県神社誌』において「天満神社」で登録されており、祭神は菅原道真公とされている。神社の祭神は氏子により後世に変更されることがあり、特に学業の神様である菅原道真公へ改められる例は各地で多く見られる。元の祭神の免道若郎子命は、仁徳天皇の弟皇子である「菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)」に比定され、学問に秀で、兄に皇位を譲るために自害した峻烈な皇子である。この皇子は麻植郡とも関わりがあり、隣接する川島町学の王子神社に祀られている。さらに、同社に祀られていた天児屋根命は、言うまでもなく中臣氏の祖神であることから、中臣氏の遠祖もまた麻植郡に住んでいたのかもしれない。ただし、管轄の鎌田神職に聞いたところ、祭神は菅原道真公以外知らないとのこと。

これらの神社が鎮座する鴨島町牛島(うしのしま)の本来の地名は「大人島(うしのしま)」であったと云われている。「大人(うし)」とは、知識人・身分の高い人・立派な人物を意味する古語である。鴨島町には「知恵島」という地名が残り、また川島町には前述の「学」という地名も存在する。さらに川島町の西隣には、阿波忌部氏の本貫地である山川町が位置している。このように、古代より文化や学問が発展し、多くの「大人(うし)」が居住したと考えられる阿波国麻植郡は、中央忌部氏の本貫地として相応しい地域であったと推測される。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲蛭子神社・忌部神社。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲麻塚神社。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】
昭和27年4月、鳴門市に誕生。小学校1年より徳島市南二軒屋町に居住。大学在学中は、山歩き、ジャズ鑑賞、読書が趣味。卒業後、神戸の会社に就職し神戸市垂水区に居住。65歳で職を辞し、徳島に帰還。「うちのかみさん」と国府町で二人暮らし。阿波説の魅力に取りつかれて20年。徳島歴史研究会で年一回、自説の阿波古代史を発表。今年で16回。国府町の「一般社団法人・大御和神社・崇敬会」の事務局を夫婦で運営。

[問い合わせ先]090-1136-7625








ANYA氏の説/


ANYA氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/ANYA(アンヤ)】
人気の大阪在住の古代史YouTuber。書籍「決定版 阿波の古代史 邪馬台国は阿波だった」。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 阿波(徳島)から日本が始まった。日本の起源も邪馬台国も四国にあった。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 歴史から消されてきた阿波の古代史が明らかになる。ヤマト政権から天皇家の起源などに関して独自の見解を述べる。 

[問い合わせ先]anyautb@gmail.com


ANYA氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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中年タケシ氏の説/卑弥呼を祭祀王へと押し上げた「技術者たち」の正体


こんにちは中年タケシです。忌部氏(いんべうじ)は、古代日本において中臣氏(なかとみうじ)とともに朝廷の祭祀(神事)を司った最古参の有力豪族です。「忌(いみ)」という言葉は、穢れを避け、神聖な状態に保つことを意味します。彼らは単に祈りを捧げるだけでなく、神事に必要な「神宝(かんだから)」の製作や調達を一手に担う技術集団を率いていました。玉、鏡、盾、矛、衣類など、儀式で使う重要な道具を製作・献納しました。

天皇の即位式(大嘗祭)における「斎忌殿(いみどの)」の設営なども彼らの重要な任務でした。忌部氏の祖神は、日本神話の「天岩戸伝説」で活躍した天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。岩戸隠れの際、天照大御神を誘い出すために「太串(ふとぐし)」に玉や布をかけて捧げ持ったのが天太玉命になります。山から掘り出した真賢木(まさかき)を根ごと用い、その枝に当時最高級の神宝を飾り付けたものです。

上枝(かみつえ):八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいおつのみすまる)多くの勾玉を連ねた、長く豪華な玉の首飾り。
中枝(なかつえ):八咫鏡(やたのかがみ)神の姿を映すとされる神聖な鏡。
下枝(しもつえ):白和幣(しろにぎて)・青和幣(あおにぎて)白は楮(こうぞ)の繊維、青は麻で織られた神聖な布。

天太玉命がこの太串を捧げ持った目的は、岩戸に隠れてしまった天照大御神の魂を、鏡や玉という「依り代(よりしろ)」に移し、引き出すことにありました。重いサカキを両手で恭しく掲げ、鏡に太陽の光が反射するよう、あるいは玉が触れ合って音を立てるよう、儀式の中心で静止または旋回していたと考えられます。中臣氏の祖神(アメノコヤネ)が「祝詞(ことば)」で神に訴えかけたのに対し、忌部氏の祖神(フトダマ)は「物(神宝)」の力を使って神を動かそうとしたのです。神主さんがお祓いで振る「大幣(おおぬさ)」も、元を辿ればこの天太玉命が持っていた「太串」の形式が簡略化・象徴化されたものです。この「物」を通じた祭祀の伝統こそが、忌部氏が技術集団(工芸・農業・建築)を率いていた最大の理由でもあります。

さて、シーズン① 卑弥呼は天照大御神だったのか?にも論じられていましたが、天照大御神は卑弥呼と同一人物だと考えます。卑弥呼が用いた「鬼道(きどう)」と、忌部氏が司った「祭祀」には、古代日本のシャーマニズムや儀礼という観点から非常に興味深い接点があります。学術的な定説ではありませんが、歴史ファンや研究者の間では、その共通性がたびたび議論の対象となります。卑弥呼の鬼道は、中国の史書「魏志倭人伝」によれば、人々に信じ込ませるような呪術的な力を持っていたとされます。

一方、忌部氏の祭祀の最大の特徴は、前述の「太串」のように、鏡・玉・布といった「物(神宝)」の力を最大限に引き出すことにあります。卑弥呼が中国(魏)から贈られた「銅鏡百枚」は、彼女の権威を示すと同時に、祭祀の道具(依り代)として使われた可能性が高いです。忌部氏はまさにそれらの祭具を「製作・管理」する氏族です。もし卑弥呼の時代に同様の儀礼があったなら、その背後には忌部氏のような「神宝を扱う技術集団」が不可欠だったはずです。「鬼道」が霊的な存在と交信するための行為であるならば、そこには厳格な「潔斎(けっさい)」、つまり汚れを祓い、心身を清める行為がセットになります。「いみべ」の「いみ」は、まさに神聖な儀式の前に汚れを避ける「忌み(いみ)」から来ています。

卑弥呼は宮殿の奥深くに引きこもり、人前に姿を見せなかったと伝えられますが、これは神託を受けるための長期的な「物忌み(籠り)」の状態であったとも解釈できます。この「聖なる空間を保つ技術」こそが忌部氏の専門分野です。邪馬台国の特産品として「倭人伝」に記されている「丹(朱)」は、古代の祭祀や呪術に欠かせない赤い顔料です。徳島県(若杉山遺跡など)は古くからこの朱の産地として知られており、忌部氏がこうした呪術的価値の高い物資を管理し、卑弥呼のような祭祀王を支えていたという仮説も成り立ちます。卑弥呼の時代の「鬼道」が、より原初的で激しい呪術(シャーマニズム)であったとするならば、後の忌部氏が司る朝廷祭祀は、それを洗練させ、国家のルールとして整えたものと言えるかもしれません。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲天太玉命の想像絵 。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/中年タケシ】
「難しい歴史の話は抜き!」をモットーに、徳島の史跡をユルく楽しく巡るYouTuber。キャンプ好きが高じて阿波の歴史の奥深さに目覚め、現在は「歴AWA(レキアワ)」として活動中。中年タケシならではの等身大の目線で、地元の何気ない景色に隠された壮大なロマンを軽妙に綴る。

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オキタリュウイチ氏の説/古代豪族・忌部氏とは


みんな、「忌部氏(いんべし)」って聞いたことある?「インベーダーの親玉でしょ?」いやいや、それでは日本人検定?に落ちちゃうよ⁈日本の歴史の授業ではあまり出てこないんですけど、実はこの一族、日本史上で最も重要な役割を担っていたと言っても過言じゃない。ただ、歴史の表舞台からいつの間にか消されてしまった、ちょっと謎めいた存在でもある。

まず忌部氏のルーツから話そう。そもそも天皇家がなぜ凄いかというと、ニニギノミコトという神様が、高天原から地上へ降りてきたんだ(いわゆる「天孫降臨」ね)。その子孫が天皇家という訳なんだが、そのニニギノミコトが降りてくるとき、一緒にくっついてきた神様が5人いた。そのうちの1人が「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」という神様で、その子孫こそが、忌部氏なんだ。天太玉命はどんな役割だったかというと、天皇の祭祀に使う道具や神社を作る、いわば「神事の専門家」だった。特に重要だったのが「大嘗祭(だいじょうさい)」で、天皇が即位する際に行う、天皇が神と一体化するための最も重要なお祭りを取り仕切るのが、忌部氏の大事な仕事だったんだ。一方、天太玉命と一緒に降りてきた「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」の子孫が、後の中臣氏、つまり藤原氏につながっていく。藤原氏の役割は、「神と一体化した天皇」を広く民衆に知らしめること。忌部氏が「天皇と神をつなぐ」係なら、藤原氏は「天皇と民をつなぐ」という役割分担だったわけ。

ところが時代が下るにつれ、藤原氏がどんどん力をつけていく。民衆の支持を集め、朝廷内での発言力を強め、やがて忌部氏の仕事まで次々と奪っていってしまうんだ。祝詞づくり、祭祀の道具づくり、儀式の運営…どれもこれも藤原氏に持っていかれて、忌部氏は歴史の片隅に追いやられてしまう。忌部氏の忌部宿禰(いんべのすくね)という人物は、平安時代に「古語拾遺(こごしゅうい)」という文献を著し、「昔はぜんぶ忌部の仕事だったのに、中臣(藤原)に奪われてしまった」と訴えていて、忌部氏の無念さを伝える貴重な記録として今も残っている。さて、大嘗祭は南北朝時代を経て一度途絶えている。そして武士の世の中へ——天皇の権威が弱まっていく時代と重なるのは偶然じゃないかもしれない。明治以降、大嘗祭が復活すると、天皇の存在感も再び高まっていった。興味深い符合ではないか。

そして現代、皇室では「古語拾遺」を大嘗祭のお手本として参照しているそう。大嘗祭に欠かせない「アラタエ」という御神体は、今も天太玉命-天日鷲命(あめのひわしのみこと)の子孫である阿波忌部氏の末裔によって作られている。歴史の表舞台からは消えても、忌部氏の血脈と技は、今もひそかに天皇の即位を支え続けているんだ。

もちろん阿波には、忌部神社が数カ所存在する。
みんなも、足を運んでみてはどうだろうか?

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/オキタリュウイチ】
オキタリュウイチ ディープ・ブランディング株式会社代表  元真言宗・僧侶 徳島県生まれ。早稲田大学中退。行動経済学に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の老舗企業再生等を行う。京都の老舗米屋を2400万円から20億円の売上にするなど、驚異的な成果を生み出す傍ら、同時に社会活動家として、自殺者撲滅や日本財団と共催し障害者の起業支援を行うなど、社会的課題の解決に取り組む。近年は、社団法人「日本神社再生機構」を立ち上げ、滅びゆく日本の神社の再生に従事する。 

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百万平氏の説/


百万平氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】

沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。

[問い合わせ先なし


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▶▶onezerozero_flat(Instagram)








シン・きーちゃん氏の説/古代豪族「忌部氏」とは?  阿波の麻が天皇を皇祖神へつなぐ


お元気様です🫡 今回のテーマは「忌部氏(いんべし)」。日本史好きなら「あ、聞いたことある〜」ってなる名前なんですけど、学校の教科書ではほとんど扱われない、ちょっとマイナーな古代氏族なんです。でも、ちょっと聞いてくださいね。令和の今もなお、阿波忌部がいなければ天皇即位の儀式は成り立たない、って知ってました?天皇の即位を確定させる「大嘗祭」には、神聖な麻織物「麪服(あらたえ)」が欠かせないんです。そしてその麪服を、阿波忌部の直系・三木家が今も貢進し続けてる。すごくないですか?阿波忌部がいなかったら、天皇即位そのものが立ちゆかない——これ、阿波の歴史でもとびきりロマンのある事実です。

■ 忌部氏ってどんな人たち?
忌部氏は、ひとことで言うと「古代祭祀のプロフェッショナル集団」。中臣氏が祝詞や言葉を担当する「言葉の祭祀チーム」だとしたら、忌部氏は祭具・幣帛・神殿といった「物と場」を整える現場担当のチームなんです。そんな忌部氏の伝承を伝える唯一の書が、807年に斎部広成が著した『古語拾遺(こごしゅうい)』。

■ 皇祖神とつながる祭祀系譜。
『古語拾遺』のすごいところ、ここからなんですよ。なんと、忌部氏が皇祖神タカミムスビの直系として描かれているんですタカミムスビ/高皇産霊神は、天照大神とともに皇室の祖神「皇天二祖」とされる神様。忌部氏の祖神・天太玉命(あめのふとだまのみこと)は、この神の系譜に連なる神とされています。整理するとこんな感じ👇

タカミムスビ(皇祖神)
 └ 天太玉命=忌部氏の祖神
  ├ 天日鷲命:阿波忌部の祖
  ├ 手置帆負命:讚岐忌部の祖
  ├ 彦狭知命:紀伊忌部の祖
  ├ 櫛明玉命:出雲玉作の祖
  └ 天目一箇命:筑紫・伊勢忌部の祖
そしてここにもう一柱、天富命(あめのとみのみこと)が登場します。天太玉命が「祖神」なら、天富命は「忌部ネットワークを各地へ展開させた実働部隊のリーダー」。神武天皇の御殿造営でも活躍したと伝えられる人物なんです。

つまり——。
タカミムスビ → 天太玉命 → 天日鷲命 → 阿波忌部という、皇祖神に直結する祭祀系譜が、ちゃんと書物に残されているんですよね。

■ ここからは私の妄想ですが——。
『日本書紀』の天孫降临神話に、**真床追褰(まとこおふすま)**という神聖な布が登場します。高皇産霊尊が琼琼杶尊を覆って地上へ降ろした布で、「天津神の直系であることを示す象徴」とされる布です。一方、阿波忌部が大嘗祭に貢進する麪服もまた、新天皇の即位に関わる神聖な麻の布。そして両者をつなぐ系譜の中心に、タカミムスビがいる。ということは、ですよ?真床追褰が「天孫を天孫として降ろす布」なら、麪服は「新天皇を皇祖神へつなぐ布」だったのかもしれない。
阿波忌部が織る麪服は、天孫降临神話の真床追褰の記憶を、地上の祭祀として受け継いだ布。阿波の麻は、天皇を皇祖神へとつなぐ「神話の布」だったのかもしれません。一緒に歴史沼にハマりましょう!

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは

▲阿波の麻が天皇を皇祖神へつなぐ。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】7話目/古代豪族「忌部氏」とは


【執筆/きー(Key)】
お元気様です🫡 日本神話と日本古代史のロマンに、気づけば毎日どっぷり沼っている きー(Key)です。阿波(徳島)を拠点に、文献(古事記・日本書紀など)と現地(神社・地名・遺跡)の両方から、あれこれ想像して深掘りするのが好き。YouTube「シン・きー歴史沼チャンネル」発信に加え、ツアー企画/現地ロケ/ライブ配信/講演もしています。一緒に歴史沼にハマりましょう!🗝️

[問い合わせ先]history.key21@gmail.com


きー氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶シン・きー歴史沼チャンネル(YouTube)
▶▶きー📖歴史沼チャンネル(X)






【シーズン2】7話目【完】。

次回は・・・

阿波忌部「天日鷲」とは
記事公開日は2026年7月15日(水)。乞うご期待

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