歴史・文化
2026/07/15 01:00
あわわ編集部
邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


古代史を通して徳島の魅力を再発見するために連載スタートした「邪馬台国は阿波だった!?」。シーズン1の16話+特別編2話では書き足りないことがまだまだあるということで、なんとなんとシーズン2突入でございます。シーズン1を通して、徳島県民のみなさまへ多少なりとも周知できたのではと思っていますが、老若男女全ての県民に認知してもらえるようシーズン2もパワーアップして続けていく所存です。
ということで!
この連載を読みながら邪馬台国阿波説に誇りを持ち、畿内説や九州説に負けず劣らず盛り上げていきましょう。

この企画の実はすごいところ
「邪馬台国は阿波だった」と説を唱える人たちでも詳細の各論では完全一致していなくて(そこがまた歴史ロマンにあふれている!)、それぞれ積み上げてきた研究で自身の説を発信しているのが現状。
そこでタウン誌としてできることは何かと考え、それぞれの説を一同に掲載するまとめ記事を企画しました。1つのテーマについて、それぞれが自身の論を展開していく・・・。説を横串にしたことで、微妙な違いを比較することが可能に。
ここが実はすごいところなんです。そんな
無謀かつ挑戦的な企画にもかかわらず、快諾していただいた執筆者のみなさんには頭が下がります。それも一重に邪馬台国阿波説を今以上に拡散していこうという想いから実現できました。

※注※
この連載コーナーは、各執筆者の考え・主張をまとめたもので、あわわWEB編集部として特定の説を支持する立場でないことをご理解ください。内容に関する問い合わせなどにつきましては、各執筆者に直接連絡してください。
また、
本記事の内容は著作権法により保護されています。無断での転載、複製、改変、及び二次利用は固く禁じております。記事自体のシェアは大歓迎です。



邪馬台国は阿波だった!?【シーズン2】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【通説】
天日鷲神(アメノヒワシノカミ)/日本神話に登場する神。

概要

『日本書紀』や『古語拾遺』に登場する。阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波の忌部氏の祖神。 麻植神(おえのかみ)、忌部神(いんべのかみ)とも呼ばれる。また高魂命または神魂命の裔神の天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)ともされる。 

記述

神話で知られているのは天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、天日鷲神が弦楽器を奏でると、弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされた。という内容である。後に平田篤胤は、神武天皇の戦の勝利に貢献した鳥と同一だと言及している。 
『日本書紀』では天の岩戸の一書に「粟の国の忌部の遠祖天日鷲命の作る木綿を用い」とある。
『古語拾遺』によると、天日鷲神は太玉命に従う四柱の神のうちの1柱である。やはり、天照大神が天岩戸に隠れた際に、穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣(にきて)を作ったとされる。そのため、天日鷲神は「麻植の神」とも呼ばれ、紡績業・製紙業の神となる。また、天富命は天日鷲神の孫を率いて粟国へと行き、穀・麻を植えた。『先代旧事本紀』の「国造本紀」には、神武天皇の御世に天日鷲命を伊勢国造に定めたと伝わる。一方、『伊勢国風土記』逸文には、神武天皇が天日別命を伊勢国に遣わし、伊勢津彦を平定したとされている。また、天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。

『新撰姓氏録』によれば、県犬養氏や天語連の祖とされる。

祀る神社

鷲神社(東京都台東区千束)/ 主祭神

忌部神社(徳島県徳島市二軒屋町)/- 主祭神

天皇即位の大嘗祭に際して、阿波忌部の末裔とされる三木家が育てた麻を元に、麁服(あらたえ)を調進している。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲天日鷲命。




藤井榮氏の説/天皇家と天日鷲直系阿波忌部


◆国生み大地母神「伊邪那美(いざなみ)命」の神陵「摩尼珠(まにしゅ)山」は阿波富士と尊称される高越山のことで頂上には「伊邪那美神社」が鎮座していますが、この霊山はまた“木綿麻(ゆうま)山※1”とも呼ばれ、後世阿波忌部一族の色濃い地です。高越山南の山上には天皇の代替わりにおいて最大の行事践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)における貢ぎ物の中で最も重要な「麁服(あらたえ)」を調進する美馬市木屋平貢(みつぎ)の阿波忌部の末裔「三木家」があり、北東麓には天日鷲を祭神とする織殿「山崎忌部神社」(延喜式内大社)が鎮座、その上方には忌部山古墳群が存在しています。 

◆視線を少し引いて目を西に向ければ、古事記に呼び名される「端々岐(ははき)」の上流「端々山(はばやま)」に“天孫降臨”された邇邇芸(ににぎ)命の殯宮(もがりのみや)跡「神明(しんめい)神社」、東側川向かいには木花佐久夜比売(このはなのさくやびめ)を祀る「新宮(しんぐう)神社」が鎮座し、西方貞光吉良(さだみつきら)には天日鷲命が留まり往古四国全土がここの社領になっていたほどだとか。 ◆当地には天日鷲命を祭神とする「忌部神社(御所(ごしょ)神社)」(貞光吉良)・「友内(ともうち)神社」(貞光川見西)も鎮座。この辺り全体を見渡せば古事記に記された奇(く)しぶる「高千穂(たかちほ)峯」は正にこの地の形容にぴったりです。高越山が古事記「高千穂峯」と呼ばれる所以です。

◆この高越山山頂近くに鎮座する「高越神社」については、『神社名が高越神社と呼ばれるようになったのは、「高越山」の山名が極めて重要な意味をもっていたことが考えられ、それに依った別当寺の名称も高越寺で、その後仏教の隆盛等からいつしか「伊邪那美神社」の名は呼ばれなくなり、また忌部氏が自らの遠祖である天日鷲を祭神に加え祭祀を続けたため、古来の山名を名乗った別当寺と同称の「高越神社」として通称されるようになったものと思われます。そして高越山(神社)は忌部氏、すなわち「日鷲が祭祀管掌する山(神社)」となり、やがて「日鷲の山」と呼ばれ、伝承過程で「比婆の山」になったと思われます。』ともいわれています※2。

◆阿波の先覚岩利大閑氏は根本的な見立てを提示され、『国生みで阿波国の国名が「大気津比売(おほげつひめ)」で表されている話が出ましたが、この「大気津比売」の「頭に蠶(かひこ)生(な)り」、「二つの目に稲種(いなだね)生り」、「二つの耳に粟生り」、「鼻に小豆(あづき)生り」、「陰(ほと)に麦生り」、「尻に大豆(まめ)生り」、神産巣日御祖(かみむすひのみおや)命がこれを取って種と成(な)しきと明確に記されているのは、阿波国より衣布は勿論のこと主要産物の原種が作り出されて我が国全土に広まったということをはっきりと明記して日本国民に知らしめているのです。 阿波忌部三ツ木氏が管理した「種穂山」も種の倉庫のあった山でしょうし、神代では大国主命の管理下に置かれたと思われます。‥‥「種穂山」の上流加茂山との間の村落太田村の長(おさ)「太田種子(おおたのたねこ)」が崇神天皇の御宇(ぎょうう)に祝(はふり)として登場していますがこの人も大国主命の子孫です。 主要農産物の「種」自体が各地方の占領政策に利用されていたと考えられます※3。この神代の頃の記述のみでも阿波国が我国の母国故里の地であったことが常識のある人なら誰でも理解するはずです。』※4

◆人皇初代神武紀で活躍する久米子(くめのこ)は神別天日鷲命系の久米族※5と思われますが、後に天皇と呼ばれた大王直属の名族ではっきりとした阿波神の一人です。古代、大王は必ず天日鷲命系忌部が膳夫(かしわで)として随行するのが習わしです。 ◆古事記で最も有名な物語の一つ、第12代景行天皇の皇子倭建命の東方遠征に当たっても副将格で御鉏友耳建比古(みすきともみみたけひこ)※6が随行し、膳夫としては「七挙脛(ななつかはぎ)」が付き添っています。この「七挙脛」は天日鷲命の三世「味日(あじひ)命」の孫の生粋の阿波忌部です。※7 ◆古事記といえば、編纂者太安萬侶(おほのやすまろ)とともに序第二段に出てくる稗田阿禮(ひえだのあれ)もおそらくは天日鷲命の血脈、阿波忌部の語部(かたりべ)であったかもしれませんが神代文字を読みこなしたと思われます。※8

◆やはり特筆すべきは、冒頭践祚大嘗祭における麁服調進をはじめ「由加物(ゆかもの)※9」として阿波国南部の「長の御膳(ながのみけ)」、紀伊・淡路の「遠つ御膳(とおつみけ)」とともに阿波国麻植郡(現吉野川市)忌部からの「天つ御膳(あまつみけ)」の貢進ではないでしょうか。 ◆このように、常に天皇家と共にあって神別・皇別として天皇家を祭祀を中心として支え、天皇家の全国進出開拓に当たってはこれに随行して諸国で根を下ろし、阿波の文化を拡めた一族が天日鷲系阿波忌部なのです。

※1 高越山信仰の基にあった「伊邪那美命の神陵」の上に、「木綿・麻を作る忌部(日鷲)の祭祀する山」の意味が被さり、これ が「日鷲の山」(比婆の山)とも、「木綿麻山」とも呼ばれるようになったものと思われます。(笹田孝至論考 「阿波に秘められた  古代史の謎」(財)京屋社会福祉事業団『大嘗祭』所収365頁参照)
※2 同『大嘗祭』所収365頁)参照
※3 岩利大閑著『道は阿波より始まる』(その二)14頁参照
※4 同(その三)99頁参照
※5 新撰姓氏録に「久米臣」・「久米朝臣」・「久米直」が記載されており、「久米臣」は御間津比古天皇の皇子、天帯比古国押人   命の子孫、「久米朝臣」は武内宿禰の五世孫蘇我稲目宿禰の子孫、「久米直」は天日鷲命の後、味日命の子孫とあり、いずれ   も神別・皇別の姓氏となっています。(同(その二)22頁参照)
※6 第七代孝霊天皇の皇子若建比古命の孫御友別(みともわけ)命
※7 同(その二)52頁参照
※8 同(その三)86頁参照
※9 神事における供え物を入れる器、またはその供え物自体を指す言葉で、平安時代の法令集「延喜式(えんぎしき)」(927年)   に具体的な定めがありますが、阿波国を中心に置いた形で定められており、阿波国を除いては行事そのものが行えない規定    になっていて、由加物を貢進されるのは阿波・淡路・紀伊の三国のみと定められています。

【参照リンク】
小著『古代史入門』75頁、同 『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』テーマ28(115頁以下)、テーマ30(130頁以下)参照(Amazon電子書籍・印刷本)

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲天日鷲直系阿波忌部「三木家」。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/藤井榮(ふじいさかえ)】
昭和24年美波町(旧日和佐町)生。平成22年徳島県庁退職。平成26年本格的に阿波古代史の勉強を開始、平成27年「邪馬台国阿波説入門講座」(現「阿波古代史講座」)を開講、令和4年2月古代史塾を起こしHPを開設してYouTube動画配信を開始、同年4月『古代史入門』、同6年2月『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をそれぞれAmazon電子書籍・印刷本出版、現在に至る。

[問い合わせ先]sakae-f-1949@ma.pikara.ne.jp


藤井榮氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
▶▶古代史塾(公式HP)
▶▶古代史塾(YouTube)






山内雄二氏の説/天日鷲命を遠祖とする阿波忌部氏の始まりの地


天日鷲命は『古事記』には登場しないが、『日本書紀』神世上・第七段・一書第三において、天照大神の天石窟隠れの際に、祝詞を奏する中臣連の遠祖・天児屋命、忌部首の遠祖・太玉命とともに、祭具としての「木綿(ゆう)」を作った粟国忌部の遠祖・天日鷲命として初めて現れる。国譲りの段では、高皇産霊神によって天日鷲命は「木綿を作る者」と定められている。また出自に関しては諸説あるが、一般には太玉命は高皇産霊神の、天日鷲命は神皇産霊神の裔とされる。

国譲りののち、天孫降臨に際して太玉命は瓊瓊杵尊に随伴した五部神の一神として地上に降りたが、天日鷲命が太玉命と行動をともにしたのか、あるいは高天原に留まったのかについては記載がない。その後、太玉命も天日鷲命も神話に再登場することはなく、次に神話の舞台に現れるのは彼らの孫の世代である。『古語拾遣』によると、神武天皇の御宇に太玉命の孫・天富命が、天日鷲命の孫(『安房忌部家系』に見える由布津主命か?)を率いて肥沃の地を求め阿波国に至り、穀(かじ)・麻の種を植えた開拓地を「麻植(おえ)郡」と名付けたと記される。これが忌部氏と阿波国との関係の始まりである。その後、天日鷲の孫の一族は麻植郡に土着し、阿波忌部氏と呼ばれるようになった。一方、天富命は阿波忌部氏を分け、その一方を率いて新たな地を求め、東国の安房国へ行ったとされる。

『延喜式神名帳』の阿波国麻植郡・忌部神社の項には「名神大、月次新嘗、或いは麻植神(おえのかみ)と号す、或いは天日鷲神と号す」と記されている。これは、神武天皇の御宇に天日鷲命の孫が、中央忌部氏の天富命に従って阿波国に至り、開拓土着した所を麻植郡と名付けたことに由来するものと考えられる。通常、祭神を記載しない『延喜式神名帳』において、当社が特に祭神を麻植神・天日鷲神と明記している点は注目される。

ここでいう開拓当時の麻植郡を、現在の麻植郡(吉野川市)全域と想像しがちであるが、当初の麻植郡は現在の鴨島町近辺に比定すべきである。なぜなら鴨島町「西麻植」という地名は、現在の麻植郡の西部ではなく、鴨島町の西部に位置するからである。前回のテーマで中央忌部氏の本貫地を鴨島町牛島に比定したが、阿波忌部氏の本貫地もまた鴨島町麻植塚あたりではないかと、私は推測している。中央忌部氏が天皇家の宮都へと移ったのち、阿波忌部氏は鴨島町麻植塚を起点として、西方の鴨島町西麻植から、さらに西の川島町、山川町へと開拓を進めたと考えられる。

以上のように、阿波忌部氏の本領地は時代経過とともに拡大し、現在の麻植郡一帯へと広がっていったと考えられる。それ故、式内名神大社である忌部神社には各地に多数の論社が存在し、古来より論争が絶えなかった。江戸時代には川田村の種穂神社と山崎村の忌部神社との抗争が記録されており、明治期には山崎村の忌部神社と貞光村吉良の御所神社との間に論争が生じている。これらの争いは、忌部神社が「全国一社」の忌部を冠する式内社であり、しかも名神大社であることが特別視されてきた由縁であろう。

永井精古の『阿波国式社略考』によれば、天日鷲命の孫が最初に入植した麻植郡は現在の麻植郡(吉野川市)全域ではなく、現在の鴨島町西麻植から上浦に至る地域を指していたとされる。また、式内名神大社・忌部神社についても、江戸期に比定されていた川田村の種穂神社や、明治期に論社とされた山崎村および西端山村吉良の忌部神社ではなく、現在の中内神社(現・鴨島町西麻植)を当該式内社に比定している。さらに永井は、「麻植塚」という地名は、麻植神の塚の略と解し、天日鷲命の陵墓を現在の鴨島町山路(さんじ)、森藤(もりとう)の山辺としている。この位置は向麻山(こうのやま)を示している可能性が高い。

最近、地元の古老に連れられて、国道192号線の南、向麻山の北麓にある「天日桂(あめのひかつら)神社」という小祠を参拝した。同社には「天之日鷲と神ノ山(こうのやま 向麻山)」という案内板が設置されており、平成29年9月付で「日鷲の会」という銘が記されている。その内容を要約すると、「言い伝えによると向麻山には天日鷲命の御陵があったため神ノ山とも書かれた。ここ天日桂神社は向麻山を見上げる場所にあり、天日鷲命と黒高(くろたか)大明神を祀る」と説明されている。なお、鎮座地は、住宅地図で確認すると、「吉野川市鴨島町麻植塚字向麻山下」である。

当案内板には『麻植郡麻植塚村旧跡伝』の写真が引用されており、そこには次のように記されている。「麻植塚村と称するは天日鷲命命の御陵あるが故の名なり。その処は麻植郡麻植塚村と云う。麻植塚の御陵あるを以て知るべし。古老の伝には上古、御塚は神ノ山の麓にありしが川水の為に潰毀(いき)せしゆえ今の所へ移し奉ると云う」。

麻名用水の脇にある当小祠が「天日桂神社」と呼ばれる由来は未詳である。しかし、天日鷲命の御陵を遥拝するための場所であった可能性は否定できない。天日鷲命の孫が初めて開拓し「麻植郡」と名付けた土地は、現在の鴨島町西麻植から麻植塚にかけての地域に比定される。とりわけ「麻植塚」という地名の存在を踏まえると、向麻山を天日鷲命の御陵とみなすことは、必ずしも不自然ではないと、私は考えるようになった。以上

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲向麻山(吉野川市鴨島町)。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲天日桂神社(吉野川市鴨島町麻植塚)。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/山内雄二(やまうちゆうじ)】
昭和27年4月、鳴門市に誕生。小学校1年より徳島市南二軒屋町に居住。大学在学中は、山歩き、ジャズ鑑賞、読書が趣味。卒業後、神戸の会社に就職し神戸市垂水区に居住。65歳で職を辞し、徳島に帰還。「うちのかみさん」と国府町で二人暮らし。阿波説の魅力に取りつかれて20年。徳島歴史研究会で年一回、自説の阿波古代史を発表。今年で16回。国府町の「一般社団法人・大御和神社・崇敬会」の事務局を夫婦で運営。

[問い合わせ先]090-1136-7625








ANYA氏の説/「阿波忌部の祖神  天日鷲神とは」                           


阿波忌部の祖神である 天日鷲神は、天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇に包まれた時、天太玉命の指揮のもと、神々が身にまとう、「白和幣(木綿や麻で織った白い布)」を作り出しました。岩戸の前で神々が盛り上がる際、天日鷲神が弦楽器をかき鳴らしたところ、その弦の先に「鷲」が飛んできて止まりました。神々はこれを「世を明るくする良い兆候(吉兆)である」と大喜びし、このことから「天日鷲」という神名が付けられ、この功績により、天日鷲神は「紡績・機織・製紙・商業の神」の祖として崇められるようになります。

また天皇の都が奈良大和に有ったとされる通説では、神武天皇が初代天皇として即位した際、天太玉命の孫にあたる天富命が天皇から「祭祀に使うための麻布(あらたえ)や五穀を豊かに育てる良い土地を探せ」との勅命を受け、阿波の地へ渡ったとされています。天富命は、天日鷲神の孫たちを率いて、肥沃な土地を求めて海を渡り、阿波にたどり着きました。彼らはこの地で熱心に麻や、和紙の原料となる穀(かぢ)・楮(こうぞ)を栽培し、産業を興しました。彼らが開拓した地域はのちに「麻殖郡」と呼ばれるようになり、通説でがこれが「阿波忌部」の起源となります。

阿波の地を十分に豊かにした天富命と阿波忌部の一族は、さらに麻を植える土地を求め、黒潮に乗って千葉県南部(房総半島の先端)へと向かいました。そこでも優れた麻が育ったため、自分たちの故郷である「阿波」の名を残し、そこを「安房(あわ)」と名付けます。また、穀がよく実った場所を結城(ゆうき・現在の茨城県結城市)、麻がよく実った場所を総国(ふさのくに・上総、下総=現在の千葉県)と名付け、関東の産業の礎を築きます。天皇が即位した後に一度だけ行う最も重要な祭祀である「大嘗祭」において、天皇が身にまとう神聖な麻の織物「麁服」は、今でも阿波忌部(三木家)の手によって栽培・織定され、宮中へ献上され続けています。

しかし、通説をよく考えてみると、奈良大和からわざわざ海を隔てた阿波の地に渡り、良い土地を探すという事が本気で考えられますでしょうか?わざわざ海を渡らなくとも、紀伊半島や畿内にも良い土地はいくらでも存在しているのは明白です。初期の天皇の都を奈良大和に無理やり考える通説は、矛盾の塊としか思えません。やはり初期の天皇の都は、阿波に存在し、ここから山に入り、穀(かぢ)・楮(こうぞ)を栽培し、そして阿波から船出し、東国を開拓したと考えるのが順当だと思います。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/ANYA(アンヤ)】
人気の大阪在住の古代史YouTuber。書籍「決定版 阿波の古代史 邪馬台国は阿波だった」。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 阿波(徳島)から日本が始まった。日本の起源も邪馬台国も四国にあった。邪馬台国・阿波説ブームのきっかけを作った「ANYAチャンネル」の動画が一冊に! 歴史から消されてきた阿波の古代史が明らかになる。ヤマト政権から天皇家の起源などに関して独自の見解を述べる。 

[問い合わせ先]anyautb@gmail.com


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中年タケシ氏の説/名に宿る開拓の記憶――「天日鷲命」に秘められた忌部の職能


こんにちは中年タケシです。
地名や神の御名(みな)には、古代の記憶が色濃くパッケージされています。阿波を開拓し、日本の産業の礎を築いた「阿波忌部(あわいんべ)」。彼らが祖神と仰ぐ「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」という美しくも力強い名には、単なる神話の装飾を超えた、極めてリアルな職能と一族の誇りが宿っているのです。この御名を「天」「日」「鷲」の三つの要素に分解すると、古代のフロンティアたちの姿が鮮鮮と浮かび上がってくる。

まず「天(あめ)」は、高天原という至高のルーツを示すと同時に、普遍的な権威を象徴します。そして続く「日(ひ)」は、生命の源である「太陽」そのものです。阿波忌部は、神事の衣服となる「麻」や、紙の原料となる「穀(カジの木)」の栽培を全国各地に広げた一大産業集団でありました。農耕や植物の生育、そして麻の漂白に絶対に欠かせない「太陽の光とサイクルを司る長」としての性格が、この「日」の一文字に刻まれているのです。最も興味深いのは、やはり「鷲(わし)」の存在です。なぜ、鳥の王者である鷲なのか。そこには二つの重層的な意味が読み解けます。一つは、天空高く舞い、太陽に最も近い場所を飛ぶ鷲が、古来「太陽の使い」と見なされていた点です。天日のエネルギーを地上へもたらす媒介者として、これほど相応しい象徴はございません。

そしてもう一つは、彼らが扱った「繊維」という素材そのものが持つ、象徴的な意味という視点になります。神話において、天岩戸の前に捧げられた弦の端に鷲が止まったことが名の由来とされるが、古代、麻や木綿(ゆう)で織られた白布は神の依り代でありました。風をはらんで激しくパタパタと翻る神聖な白布の姿は、まるで大空に羽ばたく「白い大きな鷲」のようであったとも言われる。つまり「鷲」とは、彼らが誇った高度な織物技術の視覚的表現でもあったのです。天日の光を浴びて雄大に舞う鷲のように、人々に生命力と大いなる産業の恵みをもたらす存在。

「天日鷲命」という名には、阿波忌部が自然を読み解く知恵、優れた技術、そして新天地を切り拓く不屈の精神がすべて内包されています。のちにこの神が「お酉様」として全国で商売繁盛の信仰を集めるようになるのも、名の中に最初から、運気を高く掻き上げる圧倒的なプラスのエネルギーが満ち満ちていたからに他ならないのです。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲浅草 。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲鷲神社。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/中年タケシ】
「難しい歴史の話は抜き!」をモットーに、徳島の史跡をユルく楽しく巡るYouTuber。キャンプ好きが高じて阿波の歴史の奥深さに目覚め、現在は「歴AWA(レキアワ)」として活動中。中年タケシならではの等身大の目線で、地元の何気ない景色に隠された壮大なロマンを軽妙に綴る。

[問い合わせ先]なし


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オキタリュウイチ氏の説/


オキタ氏は、今テーマにつきましてはテーマの内容に鑑み、休載となりました。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/オキタリュウイチ】
オキタリュウイチ ディープ・ブランディング株式会社代表  元真言宗・僧侶 徳島県生まれ。早稲田大学中退。行動経済学に基づく経済心理学を独自の手法でマーケティングに応用し、数々の老舗企業再生等を行う。京都の老舗米屋を2400万円から20億円の売上にするなど、驚異的な成果を生み出す傍ら、同時に社会活動家として、自殺者撲滅や日本財団と共催し障害者の起業支援を行うなど、社会的課題の解決に取り組む。近年は、社団法人「日本神社再生機構」を立ち上げ、滅びゆく日本の神社の再生に従事する。 

[問い合わせ先]office@deepbranding.jp


オキタリュウイチ氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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百万平氏の説/『天日鷲命』


阿波忌部の祖神である天日鷲命(アメノヒワシ)は、木綿(ゆう)や麻の神として知られています。神名の由来の一つとして、とても興味深い伝承があります。東京都台東区千束に鎮座する鷲神社は、天日鷲命と日本武尊をお祀りする由緒ある神社です。社伝によると、「天岩戸の前で弦楽器を奏でていたところ、その楽器の先に一羽の鷲が止まった。神々はこれを『世を明るくする吉兆』と喜び、神名に『鷲』の字を加えて『天日鷲命』と呼んだ」と伝えられています。

つまり、天日鷲命は、もともとは別の神名を持っていた可能性があるということになります。『神道大辞典』や『大日本神名辞書』などの後世の神名辞書には、天日鷲命は手力雄命(タヂカラオ)の子であると記されています。そして、天日鷲命の子が大麻比古命(オオアサヒコ)です。

大麻比古命を猿田彦命と同一神とする伝承があり、さらに『三輪高宮家系』では、猿田彦命・事代主命・大物主命は同一神とされています。もし猿田彦命(大麻比古命)と事代主命が同一神であるならば、その系譜上の対応関係から、天日鷲命と大己貴命(大国主命)にも重なりを見いだすことができるのではないでしょうか。

実際、埼玉県久喜市に鎮座する鷲宮神社には大己貴命が祀られており、この点も興味深い一致として見ることができます。神武天皇の御代、千葉の房総半島を訪れたのは、忌部氏の祖である天太玉命の孫・天富命や、天日鷲命の孫・由布津主命たちでした。

また、房総半島の勝浦は、かつて「勝占」と表記されたともいわれ、阿波の「長ノ国」地域の地名との共通性も指摘されています。長ノ国には出雲系の神々を祀る社が多く残されており、こうした点を考え合わせると、忌部氏と出雲系氏族は、どこかの時代に共通の祖を持つ同族だった可能性もあるのかもしれません。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲天日鷲命。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは

▲鷲宮神社。

邪馬台国は阿波だった!?シーズン2【古代史を通して徳島の魅力を再発見】8話目/阿波忌部「天日鷲」とは


【執筆/百万平(ひゃくまんぺい)】

沖縄在住 観光業に携わる傍ら、趣味で古代史をテーマにした漫画やブログ、作曲を細々とおこなう。好きな都道府県は徳島県。【古代史経歴】●2020年、日本の古代史に興味を持つ。●2021年、出張の合間を縫って各地の神社巡りを開始。●2023年、阿波徳島の重要性に気づき魅了される。同年、Instagramで阿波古代史をテーマにした漫画『籠の中の卑弥呼』連載開始。ヤマモトタケルノミコトさんにいつかお会いすることを夢見る。●2024年、ヤマモトタケルノミコト氏のラジオに出演し夢叶う。

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シン・きーちゃん氏の説/阿波忌部の祖神「天日鷲命」とは?──天岩戸を"織り"、神武を照らした鷲


お元気様です🫡
前回の「忌部氏」の続きです。今回は阿波忌部の"ご先祖さま"──天日鷲命(あめのひわしのみこと)を紹介します。天岩戸神話というと、アメノウズメの踊りや天手力男の怪力が有名ですよね。でもその舞台裏で、神々の祭具をそっとそろえた"裏方の神"がいたんです。それが天日鷲命。阿波の神でした。

## 天岩戸で"布"を作った神
天日鷲命の仕事は、神事に使う布を用意すること。『日本書紀』の天岩戸の場面には、「粟国(あわのくに)忌部の祖・天日鷲が作った木綿(ゆう)」を榊に掛けた、とあります。この木綿は現代の綿ではなく、楮(こうぞ)の繊維から作る古代の祭祀用の布。天照大神を迎えるお供えです。名前の"鷲"には、神々が奏でる弦に一羽の鷲がとまり「吉兆だ」と喜ばれた、という伝承も。麻を扱い、布を織り、祭祀を支える"ものづくりの神"なんです。

## 阿波に降りて、麻を植えた神
『古語拾遺』には、天日鷲命の子孫が阿波で楮や麻を植え、麻がよく育った地を「麻植(おえ)」と名づけた、とあります。徳島の麻植郡の由来です。この阿波の麻は、ただの産物ではありません。天皇即位の大嵯祭に捧げる麼服(あらたえ)という麻布を、古来ただ一手に調進してきたのが、阿波忌部の末裔と伝わる美馬市木屋平の三木家。南北朝で一度途絶えながら、大正天皇の即位で約580年ぶりに復活し、令和でも届けられました。神話の"布"が、いまも徳島の山里で生きているんです。

## ここからはきーちゃんの姄想## ですが。
神武天皇の東征には、不思議な鳥が二度現れます。熊野で神武を導いた八哫烏。そして長髄彼との決戦で弓にとまり、金色の光で敵をくらませた金鴄です。八哫烏は、のちに賀茂氏の祖神・賀茂建角身命と結びつけられます。そして阿波忌部の伝承では、この金鴄を祖神・天日鷲命と見る説があるんです。もちろん『日本書紀』に「金鴄=天日鷲命」とは書かれていません。あくまできーちゃんの姄想です。でも、"鷲"の名を持つ阿波の神が、神武の勝利を告げる金色の鳥に重ねられた──そう思うと、自然な気がしませんか?

道を開く、賀茂の烏。勝利を照らす、阿波の鷲。
神武東征の二羽の鳥は、古代の祭祀氏族の記憶を羽根のかたちで残しているのかも。(賀茂氏と阿波忌部が同族、という意味ではありません)。次回もまた、一緒に歴史沼にハマりましょう!

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▲神武を照らした阿波の鷲。

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【執筆/きー(Key)】
お元気様です🫡 日本神話と日本古代史のロマンに、気づけば毎日どっぷり沼っている きー(Key)です。阿波(徳島)を拠点に、文献(古事記・日本書紀など)と現地(神社・地名・遺跡)の両方から、あれこれ想像して深掘りするのが好き。YouTube「シン・きー歴史沼チャンネル」発信に加え、ツアー企画/現地ロケ/ライブ配信/講演もしています。一緒に歴史沼にハマりましょう!🗝️

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ヤマモトタケルノミコト氏の説/天日鷲命と阿波忌部


天日鷲命(あめのひわしのみこと)は、阿波忌部の祖神として知られ、日本の古代史において極めて重要な存在です。阿波忌部は、天皇家の祭祀を支えた祭祀氏族であり、その始祖とも言われている。

天日鷲神とは誰でしょうか? /神祇:天津神/別名:天日鷲翔矢命、天毘和志可気流夜命、日鷲命、天日和志命、天比和志命/別称:麻植神、忌部神  神格:鳥神、機織神、紡績神 /関連氏族:阿波忌部・安房忌部、神麻績連、天語連、長幡部連、倭文連、田辺宿禰、竹原氏、巨椋連、大椋置始連、今木連、弓削連、多米連、粟国造、秋月直、美努連(三野県主)、鳥取部連、神宮部造、県犬養連(ウィキペディアより)

『日本書紀』や『古語拾遺』に登場する。阿波国を開拓し、穀麻を植えて紡績の業を創始した阿波忌部氏の祖神 麻植神(おえのかみ)、忌部神(いんべのかみ)とも呼ばれ、また高魂命または神魂命の裔神の天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)とも言われている。また神話で知られているのは天照大神が天岩戸に入られたとき、岩戸の前で神々の踊りが始まり、天日鷲神が弦楽器を奏でると弦の先に鷲が止まった。多くの神々が、これは世の中を明るくする吉祥を表す鳥といって喜ばれ、この神の名として鷲の字を加えて、天日鷲命とされたという内容でもあり、後に平田篤胤は、神武天皇の戦の勝利に貢献した鳥と同一だと言及もしている。

忌部氏は織物だけでなく、祭具の製作や神事全般にも深く関わりました。天皇家の祭祀に必要な物資や技術を提供し、「神と人を結ぶ一族」として全国で活躍しました。そのため、忌部氏の足跡は四国だけでなく、近畿や関東など日本各地に残されています。阿波には現在も天日鷲を祀る神社や忌部氏ゆかりの神社が数多く存在し、これらは、天日鷲命と阿波忌部がこの地に深く根付いていた証といえますね。 阿波古代史の視点から見ると、天日鷲命は単なる神話上の神ではなく、天照大神の時代から続く祭祀文化や織物技術を阿波から日本にもたらし、日本建国の精神文化を支えた象徴的な存在と言えます。そして、その子孫である阿波忌部は、千年以上にわたり天皇家の祭祀を支え続けました。

ここで(毎回恐縮ですが)ヤマモトタケルノミコトの妄想コラムを書かせて頂きます。少し話が飛びますが、元々は「大国主」「事代主」と「主」がつくのは役職と考えています。徳島を代表されるブロガーの大先生もおっしゃっていました。となれば大国主、事代主は何代(何人)もいたのでしょう。そして阿波忌部を代表する天日鷲命も役職として何代もいたと私は考えています。でないと全国にそんな多く祀れないです(笑)(笑)。

そして妄想は膨らみます。魏志倭人伝で、卑弥呼の後に男王が立って国が乱れて、宗女台与(伊予)が後を継ぐようになります。では、その国が乱れた時の、男王はどこに行ったのでしょうか? なかなかその地に居座れないですよね。【阿波に古代ヤマトがあったこと前提で話していますが(笑)】。 そう天日鷲命=(大国主)が千葉の房総や関東の浅草寺はじめ、麻の付く地名には開拓に行っているのではと。その状況ならどんどん開拓を頑張るでしょうねと妄想しています。これ繋がりませんかね。勿論食糧自給や技術を伝えに回ったのも大いに理解できますが。この説をもっと学んで深堀していきたいですね。その前に天皇の系図で行くと別の天皇にも行きつきそうですが(笑)。

また神話にも鳥が多数出てきますね。鷲・八咫烏・金鵄・鴨(甲+鳥)・鳳凰・白鳥(ヤマトタケル)・ハヤブサ(トト神)、どのようにしてトーテムになったのか一度調べてみたいですね。どなたか詳しい方、教えてください(笑)。天日鷲命と阿波忌部の歴史をたどることは、日本という国の成り立ちを知ることにもなります。酉の市、浅草鷲神社をはじめ全国のあらゆるところで天日鷲命に関係する話を聞きます。阿波は単なる地方ではなく、日本の祭祀と文化の源流の一つであり、その中心に天日鷲命と阿波忌部がいたのです。

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▲天日鷲命と阿波→房総→関東開拓。

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【執筆/ヤマモトタケルノミコト】
阿波古代の素晴らしさを広く伝えるために日々走り回っている阿波古代伝道師。とくしまクチコミ大使!(徳島商工会議所)。邪馬台国は阿波だった!ラジオMC(エフエムびざん)。アワテラスラボ 理事長。阿波ヤマト財団事務局長。徳島県 観光審議員。徳島YEG:卑弥呼フェス開催。映画「少女H」撮影上映。徳島JC:映画「佳歩」撮影上映。口ずさめとくしまの歌!開催。

[問い合わせ先]heartfull80@gmail.com


ヤマモトタケルノミコト氏の説をもっと詳しく知りたい方は・・・
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【シーズン2】8話目【完】。

次回は・・・

古代豪族「中臣氏」とは
記事公開日は2026年8月1日(土)。乞うご期待

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