2016/09/05 14:01
のんの

月刊「ムー」編集長・三上さんが徳島にやってきた・中編-朝立彦神社①-
どうも、のんのです。
朝はだいぶん涼しいのに、まだ夏布団です。出すのが面倒だからです。
先週お届けした、月刊ムー・三上編集長の講演イベント。
実はその前日、
徳島入りした三上編集長とワシは、飯谷町の山の中にいたのです。
そもそも三上編集長とは、とあるテレビ番組で共演した時にお知り合いになり、そのあと徳島へ取材に
来られた時にも知りあいのライターさん通じて会いにいくなど、ちょこちょこ交流がありました。
東祖谷の栗枝渡八幡神社に取材に来た際に、ワシのことも記事にしてくれました。

太っているなあ・・・wwwwwww

こんなコメントもww
当時から8年経った今でもソロモンの秘宝をスクープ出来てないです。道は険しいな!
そして先日、知り合いのライターさんからお話が。
三上編集長が徳島で行きたい神社があるので案内したいが、その日に別の用事が入っているので
野々村さん、案内をお願いできませんか?とのこと。
そりゃ、行かいでか!!!
スケジュールも調整できそうで、ってことで三上編集長をご案内したのは
朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)!!!!!
勝浦へ行く道に、看板が立っております。

何度もこの道を通っていて、気にはなっていたのですが、まさか三上さんを連れて訪れることになるとは・・・!
車でウネウネとした山道をのぼると、途中で道は行き止まり。
徒歩で向かいます。
ほどなく

水飲み場が!
ここから道なき道をのぼっていきます。
ヒー、キッツー!
道、と言っても落ち葉が枯れ木がビッシリ落ちたマジの山道。
前日に雨が降ったのか、普通のスニーカーでのぼっていると何度もズリッと足をすべらせます。
「ハァ・・ハァ・・・三上さん、こういう道は慣れてるんですか・・・?」
「ええ、もちろん。今日も登山靴で来てます!」キッパリ
さすがやで!

軽やかにのぼっていくこのお方、三上さんと一緒に来られた
美馬郡つるぎ町の剣山、白地山地蔵寺の住職・粟飯原興禅さん。
実は粟飯原さん、剣山にも残っていると言われる古代イスラエル・ソロモン王の秘宝にまつわる伝説を研究されている人で
東京のテレビやラジオにも何度も出演されているのです!!! すごい人なんですよー。
粟飯原さんとは栗枝渡八幡神社でお会いし、お寺でいろいろな資料を見せていただきました。
さすが毎日剣山をのぼっているだけある・・・ゥ・・・しんどい!
とはいえ、10分もたたないうちに

と、到着やー!

早速写真を撮る三上さん。
鳥居をくぐると・・・

拝殿なり。
拝殿をジーッと見ていた粟飯原さんが
「ここ、一つ巴なんやね、珍しいなあ!」と一言。
ん?ヒトツドモエ?
「なんですかそれは?」
巴(ともえ)というのは、コンマのような形をした日本の伝統的な文様の一つのこと。
家紋や神紋・寺紋としても用いられていて、太鼓や軒丸瓦などにも描かれている模様です。

こういうのね。
で、神社では上のような三つ巴(みつどもえ)というのが一般的だそうです。
三つ巴って、3つの力が拮抗している様子や意味にも使われてますね。
でも、この朝立彦神社は

ね?巴がひとつなんです。
そもそも朝立彦神社は、延喜式内小社です。
えんぎしきないしょうしゃ、と読みます。
延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十である「延喜式神名帳」(えんぎしき じんみょうちょう)の中で、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧に入っている神社ということです。
日本の歴史でいうと、平安時代です!
その頃からこの神社はあったということですね・・・。
なんて歴史だ!!!
「四国にはかなり歴史のある神社が多いんですよ。
意外と地元の人はそのことを知らないんですよね」と三上さん。
確かに。
かなり有名な神社やパワースポットとして知られる神社とかはよく知っていますが
地元にいながら、こんな歴史を持つ神社のことを知らないとは・・・
反省だわ。
後編と言いつつ、まだお伝えしたいことがあるから中編になったぞいw
後編へ続く!
次回!
朝立彦神社の全貌に迫る
水の枯れない池とは!?
ご神体は岩だった!?
スニーカーのサイズが大きめなばかりに、岩から滑落しそうになったのんのはどうなる!?
待て、次回!
ちなみに、
三上編集長を驚かせようと買ったムーTシャツ。
先週届きましたw

今日着てきたよ。。。
気付いてくれたのは社長だけだったぜ!!!泣
ではまた!